Mitt lilla kök

北の果て,極少の台所から

明るい2月を待っている

今日で1月が「やっと」終わるのか、というのが正直な感想。

毎日毎日、自分を奮い立たせて頑張るのもそう続くものでもない。こんな時だから、何かしなければとは思いたくない。変に頑張っても疲れるからだ。

 

去年からそんなこんなが続いて、今度こそ何とかなるのではに騙されてきた。結局どうにもなってない。緊急事態宣言後も前回は人が減ったと言われたが、今回は皆慣れてしまったのではなかろうか。ワクチンがようやく出来たとまだ普及もしてないのに、もう打った気分の人もいるのではと思ってしまう。

 

結局何がベストなのか、リーダーは示しきれないし、ついて行く方も生活がかかっている、そして精神的にも限界だ。

 

昨日"The killing of two lovers" というアメリカ映画を観た。アメリカと聞いて頭に浮かぶのはニューヨーク、西海岸、ディズニーランド、ラスベガスなど華やかなところばかりだ。映画の舞台はユタ州。田舎で閉鎖的な雰囲気で、ニューヨーク等の小綺麗にスーツを着ている感じでは無く、作業着を着た肉体労働者が主役だったし、またその様な人も実際に多いと思う。トランプ支持者がいる事が不思議な気がしていたが、この映像に出てくる街を見て強いアメリカとわめき立て、強引な子どもじみた政策でも指示したい気持ちがわかる気がした。とにかく何か突破口が欲しい、くすぶっていたくない、何かビッグなことをやってみたい。日常に疲れた主人公と家族を見てそう感じた。

これはフィルムフェスティバルで上映されてる映画なので、普段ならあまりみようと思う傾向のものじゃないが、食わず嫌いをやめて見た。

暗い雰囲気が漂う映画だったが、社会の一つの側面を知れたと思う。

 

映画ではないが、暗くてどんよりしたこの閉塞感が少しでもマシになっていく2月となって欲しい。

文句は言いつつも何事もなく過ごせた1月に感謝して。
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焼きたてパンを食べられる、これは大きなしあわせだ!!

ムーミンは決してかわいいだけじゃない

スウェーデン第二の都市イェテボリの大きな催しものの一つである、フィルムフェスティバルが今年も1月29日から始まった。

この催しは1979年から毎年1月最終週から10日間開催されている。世界中から色々な映画がやって来て、特に北欧映画が集結する重要な場所となっている。場所はイェテボリの鉄の広場にあるドローケンという映画館を中心に街中の幾つかの映画館も参加している。

2021年はコロナの影響で映画館での上映は全てキャンセル。フェスティバルの歴史上初のオンライン開催となった。

例年ならば冬の暗い時期の長い夜を映画館をハシゴしながら過ごしたりする。そして鉄の広場周辺の幾つかの通りにはおしゃれなレストラン、カフェ、パブなどがひしめき合っているので、ワインを飲みながら映画の感想を話し合ったり、映画の待ち時間を過ごしたり。このフェスティバルで上映されるものは大箱映画館で上映されるようなものではなく、日本でいう名画座の様なところで上映される映画がほとんどだと思う。小さな会場でひしめき合って観るような時もある。寒い冬になんとなく気持ちも暖かくなる光景だった。しかし今年は全てキャンセルになったので街の様子もいつもとは異なるだろう。でも悪いことばかりではない。デジタル開催もスウェーデン全土の誰でもが自分の場所で映画が楽しめるのだからこれはこれでよかったと思う。まず遠く離れた地域に住んでいるとホテルや食事など準備するものが多い。家から出にくい高齢者や子どもを預けられない夫婦など、そういう条件を越えて、リビングや自室で楽しめる。

そんななかで今年は約70本の映画が出品されていて、日本からも川瀬直美監督の『朝が来る』が含まれている。

ラインナップから私が楽しみにしているのは、フィンランド映画『TOVE 』(2020) とマッツ・ミケルセン主演のデンマーク映画『En runda till 』(2020)、フィンランド映画『AALTO 』(2020)、そして川瀬監督の映画。これらは必ず観て、あとは興味ひかれるのをいくつか楽しみたいと思っている。

 

早速昨日の初日、『TOVE 』を観た。これはきっと日本でも上映されると思うし、観たいと思われる方も多いはずだ。トーベ・ヤンソン、あのムーミンの生みの親の生涯の1部が描かれているから。ムーミンが大人気の日本で公開されないわけがないと勝手に思っている。ネタバレはしたくないので詳しくは書かない。以下抽象的な文章になると思う。お許し願いたい。
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私は子どもの頃からムーミンが好きだったし、チビのミイが大好きだった。アニメーションは楽しくみていたのだが、いざ原作を読むともうひとつ明るい気持ちになれない。アニメーションのムーミンとなんとなく別もののような気がしていた。

キャラクターも皆妖精だから性別もよくわからないし(パパ、ママは明確だが)、年齢も不詳。自由な感じはするがどこか影を感じていたのは私だけだったのか。

どんな異性がタイプかと年頃の時代、友達に聞かれて「スナフキンみたいな人」と言ったら、「あんなワガママにあっちこっち旅して、たまに帰ってきてギター弾きながら歌う様な人がいいの?」と言われて可笑しくなったことを思い出す。

トーベ・ヤンソンの小説も何冊か持っているが、あまり楽しいという印象はない。ムーミンの原作者なのにどうしてだろうかと不思議だった。

その謎がこの映画を観て解けた気がした。ムーミンで非常に親しみを感じつつ寄り添いたいのに、でもなんだかしっかりと心から分かり合えない、ちょっと突き放されていた様なもやもやした感じをなぜ受けていたのだろうという謎が。

その謎が解けて、気持ちが晴れた。これからはじっくり彼女の大人向けの小説にも向き合っていけると思うし、色々と読んでみたい。

そしてここからは諸々の感想。

まず最初、トーベがアトリエを構える時お金もない貧乏画家だったため暖房も、電気のスイッチもないがらんとしただだっ広い空間を大工仕事しながら棚を作ったり、電気のスイッチを自分で設置したり、非常にエネルギーに満ちた姿が清々しく力強さを感じた。

その後その空間が快適な心地よい空間に変わっていく。カーテンや家具、おしゃれな蓄音器、ワイングラスやリキュールグラス、さすがフィンランドでどれも素敵だった。そして友達とのホームパーティーなど、どんどん洗練されていく様子を見るとワクワクした。

そしてトーベのファッションも楽しめる。Alma Pöysti という女優さんがトーベ役だがよく作り込んでいたと思う。ショートカットも可愛いし、ワンピースやサロペットなど、ザ・フィンランド的デザインだった。決してmarimekkoの様な派手な柄ものではないのだが。ロングのコートも合わせている帽子も素敵だった。

そして何より音楽が素晴らしい。1940~1950年代のジャズミュージックが流れる。きっと当時のモダンの象徴だったのだろう。ちょっとシャンソンが流れたシーンもあったと思う。油絵を描く時の上っ張り、私も欲しいなと思ったり。

そしてフィンランド人のアルコール好きは北欧でも有名だが、本当にそうなんだとパーティーシーンでは感じた。

 

心に残る映画だった。多分時々思い出してまた色々考えることがあると思う。派手なセットやアクションがあるわけではない。人の気持ちだけを淡々と表して作ってある映画が私は本当に好きなんだと再認識させられた。

 

映画祭終わるまで色々な映画観て、せいぜいこの寒い暗い時期を楽しもう!!


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トーベの本も頑張って読む!!!

 

「強い」の定義は?

私は料理本が好きなので、新本古本問わずとにかくあれば手にとって見る。

しかし、やはり古本の方が宝箱を開けるような気分になってワクワクするし、古本屋通いはコロナで回数は減ったものの、隙を見ては行きたいところだ。

 

スウェーデンの料理本の歴史は古い。1800年代のものもちらほら見かける。私も1920年代のを何冊か持っている。そして婦人雑誌の歴史も古い。当時の服装やら文化が垣間見え、読むのは楽しい。これは私がよそ者だから楽しいと思えるのかもしれない。

このように楽しい昔の料理本の世界に反して、現代スウェーデンの女性運動は非常に激しく、女性は一切の料理などの仕事は完全放棄したい勢いだ。昔は無理にさせられていたから今はもう絶対にしたくないのよ、という決意がこちらの女性と接していてよくわかる。料理は日常でなくイベントとして捉えているんだと感じる。来客がある時、特別なパーティー料理をその時だけ作ってみるとか、誕生日会の時だけデコレーションケーキを作ってみるとか。一種のエンターテイメントだ。

女性が男性に使われていると感じる時代はスウェーデン女性だけのものではなかったはずだ。日本の女性も男性より一段下に置かれて、女に教育は要らないとか結婚したら仕事は辞めろと最近までおおっぴらに言われていたと思う。スウェーデンの女性の状況より過酷だろう。でも日本の女性は「歯を食いしばって」とか「砂を噛む様に」頑張って来ていたと思う。表に出さないけど、寡黙に。

夫は日本の女性はみんな強い、という。ギャーギャー大声でわめいたり怒鳴ったりしない代わりに、黙ってじっと色々な事を考えている、と思っているらしい。熟年離婚、というのは本当に賢いやり方だと感心していた。最近日本でも男女関わらず、割り勘が一般的になりつつあるような記事を目にすることが多くなった。

スウェーデン女性は自力している様だが、労働してる人が殆どだから収入はあっても、男性と食事に行って払う人はわずからしいし、レディファーストをしないと怒る人も多い。何だかこれを聞くといつも割り切れない。男女平等は何処にあるのと聞きたい。

そして男女の仕事の役割分担をしっかり付けたいと思っているところも不思議だ。私が庭の芝刈りをして、夫がそれを見ながら庭で座ってビールを飲むと言うと、まるで夫がハラスメントしてるかの様だ。私は芝刈りが好きだし、細かいところまで夫は気づかないから自分でした方が早いのだ。小さい釘を打つのも、電球の球をとり替えるのも男性の仕事。食料品の買い出しも食事の支度も男性の仕事。嘘みたいな話だが、本当にそんな人は多い。

 

昔はあんなに素晴らしい料理本や婦人雑誌があった国とは思えない。何でもかんでも放棄すれば、将来何も残らない。

多少の困難でもたまには愚痴でもこぼしながら、少しでも楽しみを見つけたりして過ごしている日本女性の方が社会的環境はまだ途上であっても強くて生き延びられる気がする。

 

追記

こちらで人と付き合うのは難しいなぁと思う。在スウェーデン歴数十年の日本人女性の方も友達作るのは不可能とおっしゃっていたので私だけじゃない。私だけでなくスウェーデン人女性同士でも友達は出来なさそうだ。例えば日本で「私、仏像好きです」と言ったら、すぐ同じ趣味の人など見つかって話したり出来るものだが、これらで同じ趣味の人に会ったことがない(もちろん仏像以外の趣味で)。女性運動だからと、皆で男をぶっとばそう!と団結している友達同士も見たことがない。

 

一番孤独なのはここの女性なのかもしれない。強がるのに壁が必要なのかもしれない。

男性の方が気さくだし、男性同士で仲良く趣味で集まったりは多い気がする。私も男性の方が話しやすい。


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こんなに素敵な女性文化があったのに勿体ない。私はせいぜい愉しませてもらう。

しかしこれはこちらの女性にとっては黒歴史なのか?

私のパラダイス・スウェーデンのスーパーマーケット事情(1)

スーパーマーケット(以下、スーパー)は旅行者にとって大変ありがたいものだ。


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小さな店を回って可愛いもの、面白いものを探すのも楽しみだがこれは時間がある時限定。その点スーパーはたとえ時間が無くても一軒で食料品からお土産まで、何でも揃う。時間に限りのある旅行者は本当に助けられる。

スーパーではお土産もいかにもみやげというベタなものではなく、ちょっとお洒落な気の利いた雑貨が簡単に発見出来る。

私の北欧スーパー利用歴は約20年。もちろん当時は旅行者として利用していた。最初は日本のスーパーとは異なる品揃えに舞い上がって買いすぎたり、変わったものを買って家でなかなか使わずしまっておいたものも多々ある。

そして約20年前にはスーパーの形態ものんびりして、個人経営的なローカルな小店舗も存在していた。

今は生活のためにスーパーを利用する。旅行者の頃も何となくぼんやりとそれぞれのスーパーには特徴があることに気付いてはいたが、実際住んで生活に密着するとまた視点も変わってくる。

簡単に北欧スーパー色々を、自分でも整理してまとめるつもりで紹介したい。

 

1.スーパーの分類

スウェーデンのスーパーには日本と同様に色々な種類がある。

①主に郊外にあるショッピングモール併設型の超大規模スーパー。日本でいえば、イオンモールの様な感じだが土地が広いので建物型駐車場ではなく屋外のだだっ広い超大型駐車場付き。

②大型だがスーパーだけが独立しているディスカウント店。

③住宅街にある「よろず屋」的スーパー。

それではそれぞれを簡単に説明すると、

①は現在一般的で利用する人は非常に多いのではないか。木曜、金曜の午後と週末は終日混み合う。家族連れで車で来られて無料駐車場があることが大きい。多世代で一日楽しめる。

場所によってはIKEAや規模の大きいホームセンターが併設されているところもあったり、休日や夏休みなど非常に賑わいを見せる。スーパーも超大型というだけあって、食料品のみならず台所用品、服飾品、インテリア用品、おもちゃ、電化製品、園芸用品などありとあらゆるものが買えるし、食料品は割と多国籍な食材が売っている。

薬局と酒屋、郵便局を扱うサービスなどが併設されてることがほとんどなので、このショッピングモールだけで用は足りる。

ノルウェー国境にはノルウェー人相手の大型ショッピングモールがあり、物価が高いノルウェーから比べれば格安で肉やソーセージ、砂糖、ソフトドリンクなどが買える。休日の超大型駐車場はノルウェーナンバーの車が98%だ。スウェーデンに居ながらノルウェーが楽しめるのでたまに夫と遊びに行くこともある。大きな肉の塊やら、シーズンによってはノルウェーの伝統菓子やパンが買えるので観光気分も味わえる。しかしこのコロナの影響でノルウェーとの国境が封鎖され人の行き来がなくなった。ショッピングモールも閑古鳥が鳴き、テナントも撤退しているところが多いようだ。去年の復活祭後の休暇中、ドライブがてら久しぶりに行ってみたら、巨大スーパーは客も殆どなく、商品も売れないので生鮮食料品のコーナーはロープがひかれて空虚だった。きっとまだコロナが猛威を振い始める以前にたくさんのノルウェーからの買い物客を見越して仕入れただろうからお菓子やチョコレートは山ほど売れ残っていて、綺麗な缶に詰められたデンマーク王室御用達のチョコレートが、スウェーデンでは一箱1200円以上するにも関わらず、私達は300円ほどで手に入れた。チーズやサラミも全部投げ売りで50円。通常ならデリカテッセンで高々と売っているのにだ。お客さんがいなくて大変なのだろうと本当に悲しかった。

と話しは脱線したが、大型ショッピングモールにあるスーパーは家族連れに人気があるのだ。次に②。

②大型でスーパーだけが郊外にある店もある。これはディスカウント店と位置付けられている。ショッピングモールの大型との違いは店内の陳列の仕方やインテリア 、建物のつくりにあると思う。ショッピングモール大型スーパーは、非常に綺麗に商品が陳列されており、商品数も非常に多く多種類から選べるようになっている。例えばオリーブオイルひとつにしても様々な種類が販売されている。デリカテッセンと呼ばれる対面式でチーズ、ハム、肉、魚を売るコーナーがある。日本で言えばデパ地下でデリと呼ばれているものに当たると思う。おしゃれな出来合いサラダや一品料理なども買える。

ディスカウント店も品数は負けていないがインテリアや電化製品などは売っていない。そして陳列の仕方が非常に簡素だ。日本でいうとあそこまで広くはないが、コストコやIKEAのような感じ。そこまで倉庫感はないものの①に比べたらシンプルだ。しかし食料品は非常に充実しているし、野菜は新鮮で種類も多い。そして安い。この安さの秘密は合理性にあると思う。

③ 住宅街にある「よろず屋」的スーパーは、家族経営の割りあいが高いと思う。価格はもちろん大型店に比べたら割高だ。しかし地域に密着してるぶん客との距離も近く、行けばレジで少し話したりもする。近郊農家のじゃが芋や野菜が売っていたり、養鶏場から直で卵が売っていたり、新鮮な季節の花が買えたりもする。

 

生活しながらこれらを使い分けている。画像を載せたいが、あまりに身近で良いのが見つからない。また撮ったら上げる。

 

スーパーの企業によってもまた違いがあるのだが、それはまた次回に。

 

本来ならここはノルウェーナンバーで一杯になるショッピングセンターの駐車場の1部。コロナ騒動で閑古鳥。
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虚飾は無駄だしつまらない

お正月にかこつけて、普段よりもおおっぴらに怠ける時間が出来るので、立て続けに映画鑑賞している。

ハイクで繋がっている皆さんの文化的生活を見習うべく、そして受けた刺激の多くを自分でも実現しようという気持ちからだ。

昨年の夏、雷が落ちてテレビやアンテナやら諸々がダメになった。配信に入っていたが、どうせ家にいる時間が長いから もう少し拡大した配信に加入した。そのおかげで映画館に行かずともたくさんの映画を見ることが出来る。Twitterやブログで話題になっているものも見たし、なにしろ語学の勉強にもなるので積極的に見るようにしている。

そして一番嬉しいことは、大きな映画館のロードショー的映画よりも、昔よく探して行っていた小さい名画座で上映される映画の本数が抜群に多いことだ。

オスカーもすごいとは思うが、カンヌ映画祭の方に私自身は魅力を感じる。

お正月三ヶ日は北欧映画祭りを自分で開催して見ていた。ノルウェー、アイスランド、デンマークと近隣諸国の映画は比較的よく入って来る。

ノルウェー映画では、現代社会においてどこの国でも悩んでいる人の多いセックスレスの問題をとりあげていた。

アイスランド映画では、厳しい自然の中で羊農家の人達が暮らしている様子や、羊に病気が発生し村中の羊を殺生処分しなければならなくなった苦悩。

デンマーク映画ではグリーンランド領にデンマークが侵攻し、どんどんデンマーク化をはかろうとする話。

スウェーデンの映画も1本はノルウェー映画同様の夫婦の苦悩。もう1本はスウェーデンらしからぬ、可愛らしいのんびりとしたラブコメディ。レストランが舞台だったので見るのに力が入った。調理場の緊張感溢れるところが良い。

どの映画も結局食事や台所のシーンが1番興味深かった。

 

どの映画も良いなと思ったのは、等身大の人間模様や感情を取り上げているところだ。何処にでも同じような事はあるんじゃないかと思えるし、いろいろな人間の感情が飾らず描かれていることにどの映画も好感が持てた。

民族を侵攻する話は包み隠さず過去をさらけ出していた。スウェーデンもかつてサーメ族にスウェーデン語を強要したり、属国のように扱っていた歴史もある。

日本でも歴史教育が度々議論されるが、包み隠さずにありのままを知ることが大切だと思う。

飾っても誤魔化しても、いつかメッキは剥げ落ちる。ありのままの自然な姿が1番だと強く思った次第である。

 

 

2021年にやってみたいこと

2021年が明けた。
今年は年明けを強く受け止めた。
普段なら、ああ今年も頑張ろう、とか、こういうことがしてみたい、行ってみたい、など呑気なことを考えるだけだった。

今年は強く、今年は絶対に帰省したい、そのためにも健康でいなければならない、と決意している。
帰省は私が一人でどうこうできる話ではない。
この騒動が何とか収束してくれなければどうにもならない。収束するための個人で出来る限りの努力は惜しまない。

そして他に今年したいと思っていることは、やっぱり料理だ。
自分で作って食べるのはもちろんだが、北欧料理をもっと広める手段はないものかと考えている。
夫の国だから上手くなって美味しいものを食べてほしい、という気持ちから始まったのだが、私自身も無理に合わせているのではなく、心からそれらのレシピが好きなのだ。そしてその歴史や成り立ちを見ると、上手く出来ているものだなぁと感心することも多い。
IKEAが日本に出来て、北欧の食品も少しは手に入る様だが、ミートボール、ソーセージ、鮭だけが北欧料理ではない。色々な外国の料理人が北欧料理にアレンジを加えて紹介する番組もある様だが、アレンジはアレンジでオリジナルではない。美味しいだろうとは思うし、食べやすく工夫されていて素晴らしいとは思う。
まだ頭の中でうまくまとまっていないのだが、とにかく北欧料理を広めたいというのが、今年のやってみたいことの一つだ。

それと同時の陶器や調理器具についても雑多にごちゃごちゃしてる物や知識も自分なりに整理したいと思っている。

いつもだらだら思うだけで、ああでもないこうでもないと無駄に実りなく時間が過ぎるが、今年は恥を忍んで大風呂敷を広げてみた。

今年の暮れに読み返した時、少しでも形にして笑えるか、何にもなくて悲しんでいるのか。
あと365日を過ごしていこう。

大風呂敷を広げたついでにもう一つ言うと、あとひとつくらい語学の幅を増やしたい。

自分で立てた目標に溺れないように、うまくコントロールしながら焦らず過ごしたい。自然体は簡単そうで難しい。。。

どうぞ全てによい一年になりますように。
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将来どんな気持ちで2020年を思うのだろう

「密」という漢字が今年は選ばれ、
2020年も暮れようとしている。

「死ぬことは怖いことではない」
と元気な頃から話していた父ももういない。
自分も歳をとって来ているんだと、
気付かされた年だった。

コロナのゴタゴタで別れにも行けず、だからまだどこかで元気でいてくれている様な気分になる。
淋しい気持ちにさせない、父の優しさだったのかもしれない。

3月以降、人に殆ど会わない孤立した年だった。
「美味しいお菓子が焼けたから」と誰かを呼んだり、誰かを訪ねたり出来ないことがこんなに詰まらないものかと痛感した。
こんな時だからこそ、自分で修行だと思って色々試したり練習してももう一つ気分が上がらない。

空白の一年だった気がする。
自分の一生を表すノートがあれば、2020年は空白だ。

日本に緊急事態宣言が発令された時、自分も何かやらなきゃいけないのではと、非常に気負って疲れてしまった。時間が出来たから何か勉強すべきか、断捨離したり掃除したりするべきなのか。

何事もないありふれた時間の中の休みであれば、心も健康だから何かを始めたりやり遂げられたり出来るであろうが、得体の知れない病気に不安になったり 気を配らないとと神経を擦り減らしながら、何かに一生懸命になるのは難しい。
人間、どうせ自分が出来ることしかできない。無理に明るくして疲れるくらいなら、暗くても無理せずひっそりしておけば良い。

今年学んだことは、髪の毛は自分で切ろうと思えば自分で出来るということ。これは大きな収穫だった。人間追い込まれれば結構いろいろ出来る。まさかこんな日が来るとは思ってなかったので、どうなることか心配だったが何とかなった。
反対に夫は髪を伸ばしている。次回日本に帰ったら床屋に行くそうだ。その時を待っている。

「密」は当たり前のことで、密を避けることはつまらないんだと気付いた年だった。

まだ先は見えそうにないけど、来年は普通の日が戻ってくることを心から祈っている。