Mitt lilla kök

北の果て,極少の台所から

将来どんな気持ちで2020年を思うのだろう

「密」という漢字が今年は選ばれ、
2020年も暮れようとしている。

「死ぬことは怖いことではない」
と元気な頃から話していた父ももういない。
自分も歳をとって来ているんだと、
気付かされた年だった。

コロナのゴタゴタで別れにも行けず、だからまだどこかで元気でいてくれている様な気分になる。
淋しい気持ちにさせない、父の優しさだったのかもしれない。

3月以降、人に殆ど会わない孤立した年だった。
「美味しいお菓子が焼けたから」と誰かを呼んだり、誰かを訪ねたり出来ないことがこんなに詰まらないものかと痛感した。
こんな時だからこそ、自分で修行だと思って色々試したり練習してももう一つ気分が上がらない。

空白の一年だった気がする。
自分の一生を表すノートがあれば、2020年は空白だ。

日本に緊急事態宣言が発令された時、自分も何かやらなきゃいけないのではと、非常に気負って疲れてしまった。時間が出来たから何か勉強すべきか、断捨離したり掃除したりするべきなのか。

何事もないありふれた時間の中の休みであれば、心も健康だから何かを始めたりやり遂げられたり出来るであろうが、得体の知れない病気に不安になったり 気を配らないとと神経を擦り減らしながら、何かに一生懸命になるのは難しい。
人間、どうせ自分が出来ることしかできない。無理に明るくして疲れるくらいなら、暗くても無理せずひっそりしておけば良い。

今年学んだことは、髪の毛は自分で切ろうと思えば自分で出来るということ。これは大きな収穫だった。人間追い込まれれば結構いろいろ出来る。まさかこんな日が来るとは思ってなかったので、どうなることか心配だったが何とかなった。
反対に夫は髪を伸ばしている。次回日本に帰ったら床屋に行くそうだ。その時を待っている。

「密」は当たり前のことで、密を避けることはつまらないんだと気付いた年だった。

まだ先は見えそうにないけど、来年は普通の日が戻ってくることを心から祈っている。