Mitt lilla kök

北の果て,極少の台所から

ありきたりだがとにかく早い

6月が来たなんて早すぎる。

今年は本当に変な気候で5月になったら皆半袖、男性は半パンツ、女性も薄い生地のスカートや涼しい感じの服装になるのに、今年はいつまでも薄くなってるとは言えダウンジャケットの人、男性も長ズボン。

花の生育も思うようではなく、復活祭あたりからあちこち庭が華やかになって行くのに、今年は我が家もだが花が乏しい。

それに加えてコロナや戦争がきっかけで物価高騰、花の苗も土も随分高くなった。

メリハリなくだらだら夏になって秋が来そうな気がする。芝や草は伸びるからそれは世話がいるけれど、花の手入れを楽しめるのかが不安だ。

長い長いパンデミック期間によって、それ以前どう楽しんで暮らしてたのか忘れた気がする。
そして怠けることに罪悪感が少なくなり、悪い意味でいい加減になっている。

夏は勢いがあって灰色で薄暗い秋と冬のために重要な季節なのだから、しっかり過ごさないと思う一日(ついたち)の朝だ。


エビを食べるのが楽しい季節になる。

(遊ぶ時だけ)思い立ったらすぐ行動

朝早くからお友達とRörstrand 社やArabia社の陶器についておしゃべりしていた。
Rörstrand 、Arabia 、Gustavsberg は北欧の陶器の窯元だ。北欧に限らず欧州は言わずもがな多くの陶器の窯元がある。広くに渡って。

英国にはウエッジウッドを筆頭にエインズレイやロイヤルドルトンなど。ドイツはマイセン、イタリアはジノリなど挙げ出したらキリがない。

しかしそれらの窯元は独立している様で歴史をみれば皆国を超えてもどこかで繋がってる。
デザインも何となくこれは何処かで見たことがと思って確かめると別のところに殆ど同じデザインがあったり。

日本の婚礼家具がだんだん廃れていった様に、北欧もサルヴィースと呼ばれる食器セット一式を婚礼の時に持って行く文化はほぼ皆無になった。
そしてそれらを持って結婚した世代が亡くなって引き取り手のないサルヴィースがアンティークやヴィンテージショップで売られている。

そんなこんなで陶器の窯元は経営苦戦している。Gustavsberg 社はかろうじてスウェーデン国内での生産を続けているが、工場移転の話も最近はちらほら聞く。Rörstrand 社、Arabia 社は工場を2000年に入ってタイやベトナムなどに移転させた。そして単体で生き残るのが困難になってしまい、今はフィンランドのFiskars 社が主となってiittala も傘下に入れて大きなグループとなっている。

話を戻せば、昨日の朝のおしゃべりを夫に話していると休みの日はドライブに行きたくてうずうずしてるのに火をつけてしまった。
本当に運転が好きなのだ。どんな長時間ドライブでもご機嫌なのだ。

「今からRörstrand 博物館を見に行こう」

といった時には、コーヒーをポットに詰めてキャンプ用マグカップを持って出発していた。

雨が降っているから庭も出来ないし、まあいいかと思って出かけたのに段々晴れて来た。

延々と車を走らせ、途中スーパーに寄って菓子パンを買って適当な休憩所に車を停めてお昼兼お茶にした。皆休暇に入っている人が多いからキャンピングカーにたくさん出会った。
去年まですっかり外国ナンバーの車はいなくなり淋しい感じだったが、コロナ対策もすっかり緩んで昔の様に車の休憩所には外国ナンバーが並んでいた。ノルウェー、デンマークを筆頭にドイツ、オランダが続く。

博物館はパンデミック期間閉鎖されていたが、先月リニューアルオープンしている。
展示も以前とは少し変わっていて、作家別に分けられているコーナーを特に興味深く見た。

学芸員の方と日本でどのデザインが人気があるのか、昔の工場の話やデザイナーのあれこれなどを話し込んだ。

来月から夏休みに入れば併設されてるアウトレットショップもきっと賑わうだろう。iittaraアウトレットショップは正規の品物も勿論売っているが、セカンドラインを割引きで買うことも出来るし、バーゲンコーナーなどもあったり、ittara、Rörstrand 、ArabiaそしてFiskars の園芸用品や鍋、調理道具等が集められて特に観光客にはお土産を調達する良い場所だと思う。

朝お友達と話題になった「ミイのお母さん」のマグカップは当然売っている。マグカップは幾つ家にあるのかにはすっかり目を閉じて買ってしまった。可愛い。

ムーミンマグもアンティーク、ヴィンテージ市場では良い商品だ。色々柄はあるが継続しているのではなく年代によって変わるので、昔の柄が生産されなくなると高値になる。
「本年のムーミンマグ」が毎年クリスマス前に発売される。私は結婚した年だけ記念に残るので買った。しかしだんだんマニアが増えて昨年は発売と同時に売り切れたらしい。
オークションで何年かのムーミンマグが300万円以上で取引されてニュースにもなった。

Arabia社も商売上手で今年からは冬だけじゃなく2022年版夏のムーミンマグの販売を始めていた。勧められたが買わなかった。限定だから売り切れたら終わりらしい。

博物館の後は旧市街に出た。市場も少しずつ戻って来ていてパンデミック以前の半分くらい店が出ていた。花の苗も新しくて安いので喜んで買って来た。
古いパン屋さんでパンを買う。これは授業料。
自分で焼く時のために勉強になる。

一日遊んですっかり疲れたが、リフレッシュするのは楽しいし、少しずつ日常が戻ってきたのを体感して元気になった。

買って来たカップは早速フランクに占領された。


日本でも人気のモナミが一杯。古いのと新しいのと。


我が家愛用のモデルも展示されていた。エリザベス女王が訪問された時にプレゼントされたらしい。展示は女王の名前入り。

パンダン達にこれが欲しかった。

よく遊んだ。

気づけば随分時間は経っていた

ブログ無精で怠けに怠けていた。
ハイク時代に繋がって色々刺激を受けて来たお友達が急に亡くなってしばらく落ち込んでいた。
ブログでも仲良くしていたから、ふらっと更新されるのではと思ったり。現実を受け入れるのが辛かった。


世の中はコロナもワクチン接種がすすんで以前の様な悲壮感はだんだん失われつつある。
4月に全ての対策が終了し、今までと同じ日常が戻ってくるだろう。
国境を越るにも陰性証明やワクチン接種証明など隔離期間もなくなった。

そんなところで急に決まって
「🇳🇴に行こう」を夫と実行して来た。

別に何をするわけでもない。
何処の国に行っても私達の目的はスーパーマーケットだ。🇳🇴国境近くの🇸🇪のスーパーは様々な食料品が売っている。

目玉は肉!!
大きな塊がゴロゴロ売られている。
「あの肉が食べたい」
夫婦で待ち焦がれていた。
🇳🇴人は大きな塊で買うのが好きなようだ。🇸🇪の豚の足は塩漬けされているのが一般的だが🇳🇴人相手には生で売っている。これも魅力。
あと近所に売ってない銘柄のブイヨンや復活祭後のセールでチーズなども買った。

国境を越えたからといって遠くに行くわけでもなく国境付近で楽しんでまた帰ってくる。

🇳🇴にはREMA 1000 というスーパーマーケットがある。昔は🇸🇪にもあったらしいのだが、🇸🇪のスーパーは大手数社が強く他はあまり入れない傾向にあった。今は🇩🇪資本も入って来ているが。
話がそれたが、そのREMA 1000、実は🇩🇰にもある。私達にとって🇳🇴🇩🇰を同時に感じられるスーパーなのだ。

🇳🇴のパンを買うのも楽しみだ。
🇸🇪🇩🇰🇳🇴、それぞれパンに特徴がある。🇸🇪のパンは甘くて柔らかい。茶色いのはシロップの色。それに比べて🇩🇰🇳🇴は食物繊維たっぷりの茶色い色。粉もライ麦粉が多い。🇸🇪は薄力粉。だから白くて柔らかいふわふわ。

パンの粉も買って来る。家で🇳🇴パンを焼くのだ。

スーパーって本当にすぐ時間が過ぎて行く。

途中で菓子パンを買ってお茶にした。

すっかり疲れて帰って来たが、違う文化に触れたのとやっと外に出られた解放された気分になって喜びを噛み締めている。

今度は本当に家まで帰れるように、コロナも無駄な戦争も早く終わって欲しい。
自由で健康はありがたいし、嬉しいものだ。

はてなからのお題に挑戦してみる

こういう企画に参加するのは初めてなのでワクワクする。自分を省みる良い機会だと思って。

はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問

ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?

ブログ名はスウェーデン語で「私の小さな台所」という意味。築90年の極小キッチンで色々な料理に日々挑戦している。そして台所は一番落ち着く場所なのでこのタイトルにした。
古い台所を壊して大きな近代的システムキッチンをいれたがるスウェーデンの昨今の風潮に逆らってみた。

はてなブログを始めたきっかけは?

はてなダイアリーがとても使いやすかった。他のブログを試したこともあったが、やっぱり使いにくくて戻って来た。ブログはその流れで自然に。

自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?

お気に入り?は難しいが、
https://kaalrabbi.hatenablog.com/entry/2019/10/15/181627?_ga=2.111381313.470190532.1634315869-2126145431.1566566949

これ。自分の愛用品を見返しながら自分も楽しかった。


ブログを書きたくなるのはどんなとき?

北欧という場所に住んで素晴らしいとか何かおかしいなぁとか思いそこから色々日本の事を比較したり、愚痴を言ったり。そういう時にブログに向き合いたいと思う。書いている事によってその時の自分の精神状態が良く分かる。

下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?

色々文句を書いているのが公表するのは憚られていったん保留で置いてある。

自分の記事を読み返すことはある?

その季節に何をしたか、振り返るために読むことはある。

好きなはてなブロガーは?

はてな時代からのお友達のブログは近況やら考え方など知るのに興味深い。

はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?

ブログサービスが急に終了して行き場がなくならないように、これからの存続を心から祈ってます。

10年前は何してた?

語学学校で勉強と人間関係に奮闘していた頃。
言葉を自由に操れない悔しさに泣いていた頃だと思う。

この10年を一言でまとめると?

成長したようなしてないような。
家族のメンバーが病気や高齢で減ってしまった事がとても淋しいが、自分自身はますます料理を食べたり作ったりに勤しむ様になっている。
ただここ最近のコロナ騒動が自分自身の色々なものの考え方にも影響してるなぁと思う。
そして認めたくないが、日本語がどんどん変になってきている。言葉の言い回しが上手く見つからず変な文章を晒していると思うと恥ずかしい。

10年の経験をこれからの10年に月並みだが活かしたい。

f:id:kaalrabbi:20211016015348j:plain

すっきり軽やかに生きたい、とずっと思っている

定期的にすっかりさっぱりしたい欲望にかられて仕方ない時がやって来る。
自分自身が重くなって動きがとれなく苦しい気分。

昔から雑誌の整理整頓特集を読むのが好きだ。読めば読むほど脳内で妄想片付けは進行する。シンプルな片付いた部屋で寛ぐ自分の姿を想像する。

しかし現実は見るも恐ろしくドアの向こうに隠したい。もしくは、全部のものを袋詰めてごっそり捨てたい気分になる。そういう時はモノだけじゃなく精神的にも鬱積しているのだ。

使わないものは何時までたっても使わない。
これは全くの事実。いつか使うかも、は永遠に来ない。

昨日から全部捨てたい衝動がやって来た。
今回は生地。可愛い柄を見るとついつい買ってずっしり重い箱が溜まって来た。
だいたいカーテンにしてもいいか、と3m程買う。しかし我が家は窓が幾つもある豪邸ではない。カーテンを掛ける窓も限られている。

「素敵!」の好みも微妙に変化する。

とにかく溜まっている箱を開封し、いるものいらないものを分別する。
麻の布巾もとにかく出てくる。
台所でお皿を拭くのは麻、と決めているので見つけると買う。でも結局使っているのは、勿体無い気がしてちょっと穴があいたのだったり。
たくさんあるのだから使わなきゃ勿体ないのだ。

どんどん大きな紙袋に不要な布を仕分け、これを後日リサイクルに持って行く。

カーテンもエコバッグもそんなに必要ではない。あるだけでいいのだ。

しかし布屋さんの布もカーテンやらテーブルクロスの売り場は年々淋しくなっている気がする。その文化がなくなって来て、売る側も好き嫌いの別れる柄物の生産を控え、売りやすい無地に力を入れている。

片付けていると、奥にしまってうっかり忘れていたものの出てくる。
今回は麻布巾に自分で刺繍してたのを忘れてた。
これも気分転換に使うことにしよう。傷んだ布巾は処分して。

買い込むのは易しいが、あとの仕事は大変だともう一度心に刻もう。f:id:kaalrabbi:20211009132535j:plain

古い日本映画を観る

久しぶりに映画『東京物語』を観た。

初めて観たのは母と一緒に、まだ高校生くらいではなかったか。それから大人になってから観て、と何回か観ている映画だ。

無駄のない、今の時代から見れば簡素な映画だ。若い頃は「どうして杉村春子はあんなに意地悪なおばさんなんだ?」と憤慨していたが、歳をとってみると、「ああいう人いる。どうしてああいうことを言うのか。国民性ではない。万国共通ああいう人はいる」。人が亡くなった後、がめつい人はがめつく取りたいものをさっさと取っていくものだと改めて確認したり。

などすっかり見方も変わって来た。

戦後から間もない時代、尾道から東京というのは非常に時間がかかって、列車の座席も今の様に広く快適ではなく長旅は大変だっただろうにと思う。そして老夫婦はまだ70歳になっていないのに、風貌は今の80歳超えた人よりも年取って見えることに改めて驚いた。

平均寿命がどんどん伸びて、人は10歳若くなると聞いたことがある。30歳で成人、とどこかで聞いて本当だと思ったり。私の歳で母はもっと大人でしっかりしてたと、こんな子ども地味ていなかった。

モノクロで哀愁のある映画だ。

小津監督は欧州でも人気が高いが、古き日本はきっと礼儀正しい国に見えるだろう。

まとまりのない、ただ思ったことを書いてみた。

f:id:kaalrabbi:20211007162516j:plain

主婦は何に抑圧されているのだろうか

非常に長いタイトルの映画を鑑賞した。タイトルだけではなく上映時間も非常に長い。

『ブリュッセル1080、コソルス湖畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン』
1975年のベルギーとフランス合作映画だ。

f:id:kaalrabbi:20211006153426j:plain
画像はお借りしました。

主人公は1人の主婦。ティーンエイジャーの息子と2人暮らし。夫はいない。この主婦の3日間の生活がこの映画の全てだ。
たった3日間を3時間以上かかって描いている。

殆どの場面が彼女の自宅アパートであり、セリフも音楽もほとんどない。非常に静かで長い映画なのに気にならない。

彼女は自分のルーティンを持っている。それが映画の中で繰り返される。

毎日毎日同じ様にただ過ぎる様子を見ていると、だんだん息苦しい気がしてくる。皿の並べ方や風呂の入り方、部屋のランプをつけて消して等、何気ない動作だけど息苦しい。編み物もさえ息苦しい。

抑圧されている主婦、と捉えられるし主婦は抑圧されていると考える人も多い。女性は解放されるべきだとこの映画が製作された1975年前後は世界的にそういう運動が広まった時代だと思う。

しかし、私にはこの主婦が誰かから抑圧されているのではなく自分自身によって何もかも抑えつけているように見えたのだ。
食事も毎日前菜にポタージュスープ、主菜は肉とじゃがいも。じゃがいもの茹で具合は彼女にとって病的に重要だ。もし失敗しても息子にごめんと言えばいいだけで、パスタや米でも選択肢はあるだろうに。失敗したら八百屋さんまでまた買いに行く。手間だし拘るあまり自分で自分の用事を増やしている。

そして何でもかんでも決まっているので「遊び」がない。融通がきかない。
家事労働は無償労働、それは確かだし議論もあるだろう。しかしそれ以前に自分自身にある妙な抑圧からまず解放されるべきだと思った。生き苦しさが社会システムから生じる以前に、自己から生じていれば更に生き苦しさにまみれてしまう。

ネタバレになるから内容についてはこれ以上の事は記さない。
ただ観ていて、同じ欧州と呼ばれながらも北欧とベルギーは大きく異なるものだと感心した。北欧は家の中で靴は履かない。上履きを履く人も少ないのではないか。玄関で靴を脱ぐ。しかし、ベルギー多分フランスも家の中は土足。昔ロンドンで家庭にお邪魔した時も家中土足だった。日本より英国やフランスなどコロナ感染がみるみる広がったのもその様な衛生の相違も原因じゃなかったのかと思う。
もう少し気になった衛生面は、一日外で履いていた革靴を食卓のテーブルで靴墨つけたりブラシかけたり、食事を作る場所でなぜ靴を手入れするのかわからない。その後テーブルを拭くわけでもなく朝ごはんを並べて、息子はテーブルにパンを直置きしてジャムらしきものを塗ったり。
主人公主婦がカツレツを作るシーン。あんな平べったいランチョンマットくらいの大きさの肉を粉、卵、パン粉をつけて焼く準備するが、粉はテーブルに直に撒く。
日本人は衛生的という世界の評判は本当だ。ああいうシーンはちょっと見るに耐えられない。

あとお節介だがもう成人に近い様な息子、パジャマくらいは自分でたたんでベッドメーキングくらい簡単に自分でしろ!と一言言ってやりたかった。コートや靴も母に任せて片付けさせるのは如何なものか。

と凡人目線で色々とツッコミどころはあった。

主婦という立場は家事労働に縛られている、とこの映画の監督は言いたかったのかもしれない。無償労働とか高次な問題はちゃんとした場所で議論されるとして、人間は性別年齢関係なく 自分のできることは自分で、一緒に一つの家に住んでいるならお互い助け合って生きることがまず基本だろうと感じる。

心の中に不思議なものが残る映画だった。