非常に長いタイトルの映画を鑑賞した。タイトルだけではなく上映時間も非常に長い。
『ブリュッセル1080、コソルス湖畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン』
1975年のベルギーとフランス合作映画だ。
画像はお借りしました。
主人公は1人の主婦。ティーンエイジャーの息子と2人暮らし。夫はいない。この主婦の3日間の生活がこの映画の全てだ。
たった3日間を3時間以上かかって描いている。
殆どの場面が彼女の自宅アパートであり、セリフも音楽もほとんどない。非常に静かで長い映画なのに気にならない。
彼女は自分のルーティンを持っている。それが映画の中で繰り返される。
毎日毎日同じ様にただ過ぎる様子を見ていると、だんだん息苦しい気がしてくる。皿の並べ方や風呂の入り方、部屋のランプをつけて消して等、何気ない動作だけど息苦しい。編み物もさえ息苦しい。
抑圧されている主婦、と捉えられるし主婦は抑圧されていると考える人も多い。女性は解放されるべきだとこの映画が製作された1975年前後は世界的にそういう運動が広まった時代だと思う。
しかし、私にはこの主婦が誰かから抑圧されているのではなく自分自身によって何もかも抑えつけているように見えたのだ。
食事も毎日前菜にポタージュスープ、主菜は肉とじゃがいも。じゃがいもの茹で具合は彼女にとって病的に重要だ。もし失敗しても息子にごめんと言えばいいだけで、パスタや米でも選択肢はあるだろうに。失敗したら八百屋さんまでまた買いに行く。手間だし拘るあまり自分で自分の用事を増やしている。
そして何でもかんでも決まっているので「遊び」がない。融通がきかない。
家事労働は無償労働、それは確かだし議論もあるだろう。しかしそれ以前に自分自身にある妙な抑圧からまず解放されるべきだと思った。生き苦しさが社会システムから生じる以前に、自己から生じていれば更に生き苦しさにまみれてしまう。
ネタバレになるから内容についてはこれ以上の事は記さない。
ただ観ていて、同じ欧州と呼ばれながらも北欧とベルギーは大きく異なるものだと感心した。北欧は家の中で靴は履かない。上履きを履く人も少ないのではないか。玄関で靴を脱ぐ。しかし、ベルギー多分フランスも家の中は土足。昔ロンドンで家庭にお邪魔した時も家中土足だった。日本より英国やフランスなどコロナ感染がみるみる広がったのもその様な衛生の相違も原因じゃなかったのかと思う。
もう少し気になった衛生面は、一日外で履いていた革靴を食卓のテーブルで靴墨つけたりブラシかけたり、食事を作る場所でなぜ靴を手入れするのかわからない。その後テーブルを拭くわけでもなく朝ごはんを並べて、息子はテーブルにパンを直置きしてジャムらしきものを塗ったり。
主人公主婦がカツレツを作るシーン。あんな平べったいランチョンマットくらいの大きさの肉を粉、卵、パン粉をつけて焼く準備するが、粉はテーブルに直に撒く。
日本人は衛生的という世界の評判は本当だ。ああいうシーンはちょっと見るに耐えられない。
あとお節介だがもう成人に近い様な息子、パジャマくらいは自分でたたんでベッドメーキングくらい簡単に自分でしろ!と一言言ってやりたかった。コートや靴も母に任せて片付けさせるのは如何なものか。
と凡人目線で色々とツッコミどころはあった。
主婦という立場は家事労働に縛られている、とこの映画の監督は言いたかったのかもしれない。無償労働とか高次な問題はちゃんとした場所で議論されるとして、人間は性別年齢関係なく 自分のできることは自分で、一緒に一つの家に住んでいるならお互い助け合って生きることがまず基本だろうと感じる。
心の中に不思議なものが残る映画だった。