Mitt lilla kök

北の果て,極少の台所から

はたして仏様に近づくことは出来るのか

子どもの頃、祖母が私に

「だんだん歳をとってあの世が近づいて来たら、人間何にも欲しくなくなっていくんだよ。」

と言っていた。

祖母に長生きして欲しかった私は、

「おばあちゃん、もう何にも欲しくない、いらないって思ってない?」

と事あるごとに聞き、

「欲しいものはまだまだたくさんあるよ。」

その答えを聞いて、おばあちゃんはまだ死なない、と安心していた。

しかし祖母が欲しいものはない、ということはなく、私が年頃になっておしゃれに目覚め、指輪やネックレスをつけ出すと、

「おばあちゃんもそういうのが欲しいねぇ」と本気で言うような人だった。1度はイヤリングを欲しがって 面白がって付けてあげたら、おば達にみっともないと叱られたり。とにかく悪い意味じゃなく貪欲な人だったと思う。決して、欲しいものはもう何もない、ということなく100歳で亡くなった。

父もそういう意味では貪欲だった。本は増えると重くて家が潰れるからもう買わないで、と悲鳴をあげる母を尻目に活字中毒はとどまることがなかったし、美味しいもの、美味しいお酒があれば満足で自分で料理を作って食べるのが好きだった。病に臥せてからも食事が楽しみで「お父さんは正岡子規みたいね」と母と言っていた。

私もその血が流れているので、欲しいものはたくさんある。ヴィンテージの食器や台所用品は、我が家は極小台所しかないのに欲しくてしょうがない。でも祖母や父と異なるのは私の場合、継いでくれる人が誰もいないのだ。父を亡くしてから急にそういうことを身近に考えるようになった。

ミニマリストという言葉が流行り、必要最小限のもので生活してる人の暮らしを雑誌で見たり、またある若手芸人のミニマリスト生活の動画を見たことがある。部屋はがらんとして、食事風景も同じ皿、茶碗。本や書類など皆オンライン。もし何かあったとしても、失うものも少ないだろうし、引っ越すのも手間なく簡単だろう。

価値観の相違だ。私には出来そうにない。もし私が死んだとしても、誰かが処分しやすいようにくらいは整理はしないといけないが、食べることが楽しみなのに、どの料理も同じ食器で食べるのはさみしい。そしていろいろ遊びたい。

今1番私に影響を及ぼしているものは、ゴッドファーザーだ。映画も勿論、イタリア料理に興味が出て来て料理本を買い漁り、ワインやオリーブオイル、食材など飲んだり食べたり勉強したり。パスタやチーズもいろいろ楽しい。昨日辿りついたのはエスプレッソだ。コーヒーはここでは日本の緑茶の様な飲み方だから、特別な感じはしなかった。エスプレッソも昔実家で直火用のポットで沸かして飲んだこともあるけど、苦いなぁとマイブームが終わってそれっきりだった。しかし、映画の中でヴィートがエスプレッソを小さいカップで飲むシーンを何度も見るうちに、私も是非エスプレッソを飲みたいとミーハー精神全開となった。

モノは増やさないはずがネットで買ってしまった。こだわったのはイタリア製。まだ商品は来ないが、エスプレッソ用の豆を買って準備をしたい。そして美味しいエスプレッソをゴッドファーザー気分で味わうのを楽しみにしている。パンナコッタやティラミスももちろん作って。

そんなこんなで、仏様への道がまた遠のいた。せいぜい欲にまみれてしばらくは生きていこう。


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もう1冊別装丁の同じ本を持っているのに、この表紙を見れば買って帰らずにはいられない。

古本屋で見つけた。表紙は破れたりしているけど、マーロン・ブランドカッコいいわ!