ミリエル司教に憧れて
「燭台」という言葉を初めて見たのは、子どもの頃読んだ『ああ無情』の本の中だ。
ジャン・バルジャンがミリエル司教からもらった銀の燭台。挿し絵も素敵だった。こういうものを食事の時などに蝋燭を灯して使うなんて、昭和の時代の子どもには衝撃的だった。
きっとその時から頭の中に、ずっと燭台というものがこびり付いていたのだろう。
蝋燭を日常の食事時に食卓で灯す生活に憧れた。実家でも色々試してみた。本の挿し絵に出て来るような生活がしたかった。
よく思い出すと外国人と仕事をしていた父が多分友達の家で見かけて良いと思ったのだろう。何処かで見つけて蝋燭やら蝋燭立てを買って来てたまに雰囲気を味わったりはしていた。でも小さいもので物足りなかった。私の理想はミリエル司教の銀の燭台だ。
スウェーデンに行き来するようになり、北欧の燭台や蝋燭使いに惚れ惚れした。
「こういうのを求めていたんだ」
食事の時にさりげなく蝋燭の灯りがあったり、リビングでもテーブルの上に無造作に蝋燭が灯されている。
我が家でも真似しようと息巻いて、当時日本にはまだなかったIKEAに駆け込み、蝋燭やら蝋燭立てやら買い込んで家に帰った。スーツケースの中からたくさんの蝋燭を発見して母に情けながられた。
いざ、ロウソクと共に優雅な生活!! しかし思うようにはいかない。いかんせん天井が低い、そして明るいのだ。部屋が暗くない。なぜだろうと思ったら、照明が異なる。北欧の家はどこもかしこも間接照明だ。
長い蝋燭を立てるとバランスが悪い。ミリエル司教の銀の燭台は高くてそう簡単には買うことが出来ない。そして買えたとしても、背が高く長い蝋燭を灯しても格好がいいとは思えない。
外国のインテリア雑誌の写真の様に格好良く蝋燭は灯せないものか。。。
蝋燭が駄目ならお香だ、と何を血迷ったかインド文化に走り、お香をたくことにはまった。お香はありがたいことにお線香の文化が根づく日本では違和感なく楽しめた。
そして今は蝋燭文化の国に住み、蝋燭を楽しんでいる筈なのだが、蝋燭は楽しみというより生活必需品だ。食事の時もリラックスする時もいつも傍にある。
特に今の季節、朝早く起きて食事をするにも間接照明しかなければ、食卓に蝋燭は必要なのである。
行事の時はより盛大に蝋燭を灯す。復活祭は黄色、クリスマスは赤や緑だ。夏至祭は青。
燭台やキャンドルホルダーをついつい買ってしまう。Kosta Bodaや Orrefors のガラスのキャンドルホルダーはデザインが美しい。そしていろいろな切込みが入ったデザインは蝋燭の灯りが天井に美しい模様を作る。Kosta Boda のSnowbowr は蝋燭を灯す前はただのガラスの塊みたいなものなのに、蝋燭を灯すとそれは美しく輝く。
真鍮の燭台や蝋燭立ても素敵だ。昔のものだからセカンド・ハンドに出掛けては手に入れている。古いものは1800年代から使われていたものもあってワクワクする。
複数立てられる燭台は雰囲気も良く、豪華な気分になれる。ミリエル司教の銀にはまだまだ手は届かないが、自分の出来る範囲で楽しみたい。
我が家で一番ゴージャスな燭台。結婚のお祝いに頂いた。復活祭やクリスマスに活躍してくれる。
今一番気に入っているのは、真鍮のもの。
デザインがおフランスぽくて気に入っている。
これから来年の復活祭くらいまで、薄暗い日が続く。去年のブログにも蝋燭について書いていた。暖かい光がないとやっていけない。せいぜい蝋燭の光と一緒に美味しいものを食べて元気に楽しく冬を乗り切りたい。
これは多分70年代後半から80年代くらいのもの。デザインも何となくポップな感じがする。これもお気に入り。