Mitt lilla kök

北の果て,極少の台所から

コロナ、コロナで日が暮れる

じわじわ、いや爆発的に拡大するコロナ。

得体がしれない、特効薬もワクチンもない。

死者も出てくる。

これだけ揃えば不安はどんどん拡大するし、とにかく人混みを避ける、手を洗ってマスクをしろ、と新しい病気であるのに予防法は至って古典的、それも防御率がどれだけなのか不明であるから、ますます人はパニックになる。

多くの催し物が延期や中止になる。ましてや飲食店などは口に入れるものを扱うだけに、営業が困難な状態に違いない。

欧米では、コロナが発症した1月、2月までは「アジアの病気」だったように感じる。他人事感を感じることも多かった。

「日本は大変ね」と言われる程度で、自分達についての悲壮感は感じられなかった。

トイレットペーパーやマスクの買いだめにも、こんな時代によくわからないという雰囲気だった。

ところがイタリアで爆発的に感染者数が増加。ここスウェーデンでは2月半ばの一週間、学童にはスポーツ休暇というのがあるのだが、その時多くの家族がスキーに出掛ける。今年は国内に雪がないので北イタリアにスキー旅行に行ったらしい。どうやらそこで感染して来たようだ。

コロナウィルスは潜伏期間が2週間程らしいので、今みるみる毎日患者数が増えて来ている。TVのニュースでは、お年寄りをとにかく気をつけてと呼びかけている。

そしていよいよやって来た。トイレットペーパーの買い占める心境がよくわからない人達も、パスタ、米、野菜の買い占め。スーパーのパスタの広い大きな棚がすっからかんの画像をみて、ああどこの国の人でも同じなんだと納得した。

でもどうしてこんなにコロナウィルスが不安なんだろうかと考えてみた

命を落とす可能性があるから、目に見えないから。。。。感染する確率は生活していたら皆ゼロではない。

新幹線の車両や、飛行中の飛行機の中が空っぽ、観光地がガラガラの画像に驚いた。人は一生懸命自分を守ろうと必死になる。物の買い占めも結局自己防衛の結果だ。

何故そんなに必死に自己防衛しなくてはいけないのか。

人はそんな時に誰も助けてくれないことに気付いているからだ。余裕がない。社会という名前のもとに集まっている様には見える。しかしもし何か起こった時、安心して国や会社、昔よりずっとメンバーの数が減ってしまった家族にも頼ることが出来ない状況が現実だ。自分のことは自分で、「自己責任」が全てとなったこんな状況が、コロナウィルスを病気という以上に人の心を不安にさせている気がしてならない。

そして経済も何か確実なものがあるわけではなく、不安定で不確実なものでも儲かりそうだと思えば飛びつかざるを得ない。アジア人観光客を見込んだホテル、商店など、お客さんが多い時は良かったが、去ってしまうとどうしようもない。

たくさんの人がいるのに、自分だけを自分で守ると感じさせる社会システムが、穏やかなのんびりとしたものにもう戻ることは出来ないのかなと、悲観的にもなってしまう。

そんな気持ちがぐるぐるして、閉塞感やら不安や恐怖が増している気がする。

ワクチンや薬が出来て、回復出来る可能性が広がれば、少しは明るくなるだろうし、日常が戻れば不安感はましになれるのにと、その日が来るのを待っている。


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2020年3 月11日水曜日現在。スウェーデンでの感染者数は356人。