Mitt lilla kök

北の果て,極少の台所から

なかなかやって来ない夏 2019 ②

6月の下旬には夏至祭がある。

毎年夫のお友達とダーラナ馬の工房がある街で過ごすのが恒例だ。

 

いつもの年ならその間の植木の水やりが心配で仕方ないのに、今年はどうもその心配はないのかな、とか淋しい庭を見ながら考えていた。  

 

地下室で冬越しさせたゼラニウムの去年の苗にも、早く外の光を浴びせないと、今年の良い新芽は出てこない。

しかし外に出すタイミングはつかめず、冬越しの前に刈り込んだ茎の部分から心細げに新芽が出ていた。でも日に当てられないのでこのままひょろひょろとしたまま枯れていくのかと気が焦る。

 

家庭菜園の種もまいて、小さな芽が出てきていて 畑に早く植え付けたいのに、霜にあたってしまえばおしまいだ。

早く植えないと収穫が遅くなるし、収穫が9月にかかれば実りが悪くなる。

 

今のうちにできる事を、と部屋の中の仕事をして気を紛らわすが、全然楽しくない。

長期予報では、5月からいい天気が続いて、暑い夏になると言っていたのに。。。恨めしい。

 

結局5月は何も出来ずじまい。電話で母に愚痴ると「別にあなたはお百姓さんじゃ無いのだから、そうカリカリしなくても」と言われる始末。状況を理解してない人に共感を求めることはいくら親子でも難しい。

 

そうこうしてる6月初めのある日、

急に夏がやって来た!!!

待ちに待った夏だ。

どうして夏になったとわかるのか。

ひとつは、日差しの強さ。

そして空の青さ。

裸足でも気持ち良く、床を歩けること。

 

それでもまだ油断は出来ないので、植木鉢の移動は少し様子をみてからだ。

何はともあれとにかく夏になったと本当に嬉しかった。

 

 

 

なかなかやって来ない夏 2019 ➀

ハイクがなくなる、と悲しんだり落ち込んだりバタバタしているうちに

3月は終わり4月がやってきた。

 

4月末の復活祭休暇にはまるで夏が来たのかと思うほどの、

お昼間は日差しの強い暑いくらいの天気だった。

復活祭の日程は毎年変わるのだが、大体3月末から4月初めが多い。

その時にはパンジーや水仙の苗が花屋さんには並んで、その休暇の間に花壇を少し賑やかにするというのが普通なのに。

今年は苗は全く花屋さんに並ばず、4月に入っても全然暖かくならない。

4月の初めにデンマークでトマトの苗やゼラニウム、ストックロ―ズの苗を買ってきたのに、その後雪が降ったり霜がいつまでも降り続けたり、苗は全然外に出せずリビングで人間と肩寄せあいながら共に生活をする始末だった。

可哀そうなトマトはなかなか外に出られないのにどんどん背丈は伸び続けて、竹の棒で支え窮屈に家の中での暮らしを強いられていた。

4月半ばにやっと花屋さんにパンジーが並ぶようになり、

「霜が降りても大丈夫だから外に植えていいよ」と言われて、もう寒くならないようにと祈りながらゼラニウムの苗とちょっと寄せ植えを作って外に置いた。

 

いつもだったらこの時期には花を置くスペースにはいろいろな苗を植えつけて、これから来る5月に向けてどんどん株も大きくなってにぎやかしい感じなのに今年はポツンとした感じで淋しかった。

他の苗はやはり踏ん切りがつかず、リビングでの共同生活は続く。

ストックロ-ズに至っては買ってきた鉢が小さくなり、家の中なのに大きめの鉢に植え替える始末。

 

外ではリンゴのつぼみも、桜のつぼみも徐々に膨らんでいて、寒くならないように祈るばかり。

この時期は日がどんどん長くなってくるから毎年ウキウキする季節なのに、

日は長くなってきているけど気温がいつまでも低くて植木の世話もできず思うように外で働けない、と今年は全然うれしくなかった。

しかし自然は正直で季節が来るとどんどん活動を始め、クロッカスやムスカリは土の中から顔を出し、暖かいかなと思ったちょっとした隙に花を咲かせて、また来た霜ゲリラにやられていたり。。。

リンゴが特に心配だった。

 

そういう時にやってきた復活祭休暇の夏のような暑さ。

花も木の芽も待っていましたとばかりにどんどん育って急に新緑となり花も咲いて、やっと春が来たのかなとホッとした。

花屋さんも待ってましたとばかりに苗を売り始め、あちこちの家のお庭もきれいな花で華やかになって、やっとウキウキが始まった気がしていた。

このまま5月は爽やかに暖かい日が続いてほしいと思っていた。

 

ところが復活祭休暇が明けたと思うと、どんどん寒い日が続く。

霜は降りるし、暖房までつける始末。来月の夏至祭は雪が降るんじゃないかと皆心配するくらい。先にも書いたが、日が伸びるのに寒いというのは本当に気持ちが落ちる。する仕事は溜まっているのに全然外で動けないのは本当につらい。

本来の5月は新緑が美しく晴れてカラッと清々しくペンキ塗りをするなら5月、と言われるくらいだ。

去年の5月は雨も数日しかなく晴れわたって爽やかで何回も外でバ-ベキュ-を楽しんだ。花の苗もうまく根付いてどんどん花が咲き始め、にぎやかな感じで楽しかったのに。それに比べて今年の庭はパンジーの苗が小さな株のままひっそりと淋しくあって、空き家のようだった。

その5月にも霜が降りて、せっかく咲きそろったリンゴの花がフリ-ズドライになったのではないかと心配だった。   つづく

 

 

さようなら、夏

お久しぶりのブログ更新。

6月初めから起こったこと。

1) スマートフォン壊れる、というか老衰

2) 天気が急に冬から初夏へ

3)それに伴う庭の仕事が山積み

4) 家の修繕やら改装

5) 大掃除

などなど。

 

そういう状況が未だ継続中の部分もあるというのが現状。

電話は新しくなったものの、ちょっと変わった部分が出てくると適応出来るのに少し時間がかかるお年頃。まとまって時間が取れず、夏の仕事以外は全て後回し。

 

気候はどうなっているのか。台風やら暑い夏の日本のニュース。こちらは非常に不順で気持ちの良い暑さのなかった夏。8月になって雨が多く、どんどん秋に近づいてるのを感じ、終わらない仕事に焦りを感じつつ過ごす日々。

 

とにかく落ち着いてひとつずつ、記録に残せればいいなと思っている。

変わっていく《Shopping》と旅

 

 若い頃は、自分の体の大きさに合う服を探すには海外しかなく、大きいサイズの服や靴を見つけて買うのが海外旅行の目的の一つだった。その土地にしかない変わったデザインやらモデルがたくさんあって買い物もワクワクした。  

 例えばH&Ⅿ。日本では見たこともない変わった配色や形のセ-タ-、かわいい刺繍のブラウスやジ-ンズでもいろいろなサイズやユニ-クなモデルが選び放題。シ-ズン落ちならとてもお値打ちで買うことができた。日本で着る分にはシ-ズン落ちであろうが、バ-ゲンのワゴンから発掘されたものであろうが全然関係なかったし、かえって面白いものだった。スウェーデンにはH&Мの他にもINDISKAという服飾店があって、ここはちょっとエキゾチックな感じのするものが置いてある。スウェーデン人がデザインした服やインテリアグッズをインドの素材でインドで製造している。ここも以前はびっくりするほどユニ-クなアクセサリーがあって、私はここのアクセサリ-をつけるためにピアスの穴を開けたようなものだった。服も質の良い素敵な模様のインド綿のものが売られていて、インテリアグッズにはヒンズー教の漫画チックな神様をモチ-フにしたマグカップやらガネーシャの形のお線香立てとか、インド音楽のCDなど。そんなものを狂喜乱舞しながら買いあさっていた。友達には、どうして北欧に来てインドやねん、と突っ込まれながら。

 しかしその後しばらくして服飾の面ではプチプラならぬものが全世界で流行し、どこの国に行っても大体同じ店で同じ品物が買えるようになってしまったのと、グローバル化によりデザインやモデルも世界的に均一化され、どこででも必ず売れるような型と無難な色ばかりでその国特有の魅力がすっかりなくなってしまった。服飾品だけではない。モノ全体の独自性、その国その国にある堅実なもの、そこでしか作れないだろうものがすっかり息をひそめて、国際競争で生き残れる無難なもの、低コストで生産できるものにシフトしてしまった気がする。

 我が国のユニクロもどんどん全世界で展開していくようだが、日本だからユニクロと思って以前から日本だけのものを買いたいと思って日本に来ていた外国人観光客はがっかりするのではないかなと他人事ながらちょっと心配してしまう。日本に行くと喜んでユニクロ通いする夫に聞いてみると、特にヨーロッパで展開するユニクロはかっこいいスタイリッシュな路線で攻めているのではないか、ユニクロの下着は売らないのではないか、ユニクロのパンツを穿いているのはいるのはスウェ-デンで自分だけだと変に自慢で終わってしまった。(夫の勝手な推測と意見なので、パンツが売っているのかどうかはよくわからないのだが)

 こういう現象は以前マクドナルドが先陣を切ってどこに行ってもマクドナルドの店が存在しているように、これからは全世界どこででもH&М、ZARA、そしてユニクロ、muj、スターバックスコーヒ―など。ニューヨーク、ロンドン、ソウルだろうが、東京だろうがますます画一化されて拡大していくのだろうと思う。

 その土地の特徴や独自性を楽しめるショッピングは今後どう見つけていけばいいのだろうかと考える。ショッピング好きな人間としては本当につまらなくなってきたと思う。そこに行かなきゃ買えない、食べられないものは旅のためには必要だと思う。何でも瞬時に手に入れるのではなく、そこに行くまで、たどり着くまで、手に入れるまでの過程も旅の前奏であると思うから。

 

注)残念ながらINDISKAも例にもれず現在はすっかり様子が変わってしまい、厳しい競争のために実店舗はどんどん縮小し、ネット店舗に移行しつつある。

 

特別じゃなくても

 私は小旅行が好きだ。夫と車でぶらっと出掛けて、景色と博物館と、その土地の人とおしゃべりするのが楽しみだ。

 それと同時に、スーパーマーケットと市場に行くことは外せない。スーパーマーケットと市場は私にとっての、ディズニーランドの様なもの。

 スーパーマーケットでは、野菜と生鮮食料売り場が一番のお気に入り。旬のもの、地域で生産されているもの目当てに、どこの国に行ってもぶらぶらしている。

 レストランで食事をするより、パン屋さんでバゲットを、スーパーでチーズかハムのパックとサラダを買って、公園のテーブルのついたベンチに座って、自分でサンドイッチを作って食べるのが好きだ。(ピクニック籠をいつも車に乗せて持ち歩く。マグ、ナイフ、お皿などが入っている。) 特にデンマークには、美味しい菓子パンがざくざく売っている。コーヒーの入ったポットを持参すれば、どこでもにわかカフェの出来上がり。

 旅行に行っても、特別なものは何も買わない。ちなみに最近の旅行帰りの車のトランクは、ビール、ワイン、バター、パン、ブイヨン、鰊の酢漬け、肉類、ソーセージ、りんご、きのこ、じゃがいも、小麦粉、塩、柔軟剤などで一杯になって帰って来た。

 夫の兄さんは話しを聞いてびっくりしていたのと、どこでも買えるようなものなのにと腑に落ちない感じだったが、毎日塩を使いながら、洗濯しながら旅行を思い出すことができるのは、嬉しいし楽しい。

用意された特別なことは要らない。普通のことでも、ちょっと手を掛けるだけで自分だけの特別な宝物になるし、毎日が楽しく過ごせる気がする。

 

 

だから私は料理を作る

ー美味しいご飯は、人を幸せにするー
私が信じている言葉。

子供の頃、いたずらをして叱られても、
家族で食卓を囲んでご飯を食べれば、
叱られたことなんかすっかり忘れて、
ゲラゲラ笑って過ごせたし、

学校で辛いことがあっても、
お弁当を開けば、辛いことも吹っ飛んだ。

田舎の祖母を訪ねれば、
心尽くしのご馳走で暖かく迎えてもらったし。

ご飯はただ栄養のために食べるのではない。
作り手の愛情や思いを体と心に入れて、
暖かい気持ちになったり、嬉しく、安心した気分になれる作用があると思う。

ブログやSNS などネット上に食べ物の画像は山のように見つかる。
しかし豪華なレストランやホテルの高価な食べ物にあまり私の目はとまらない。

それよりも、お母さんが一生懸命毎日作るお弁当の画像や、ごく普通の晩御飯などの画像は熱心に見てしまう。
お弁当の影のお母さんの気持ち、
働いていそいで帰って来て、
家族の胃袋を満たすために、慌ただしくも考えながら作られた晩御飯。

楽しい会話が聞こえてきそうで、
見ているこちらも幸せになれる。

ー美味しいご飯は、人を幸せにするー
私も誰かを幸せにしたい。

そう思いながら、今日も私は料理を作る。

Hyggeしよう!

Hyggeとはデンマーク語。

Hyggeとは自然体で楽しむ暮らしのこと。(だと解釈している)。

 

北欧の冬は本当に憂鬱になるほど、憂鬱になりすぎて季節性鬱になる人が増加するほど、暗くてどんよりしていて、寒い。

私も毎年鬱になる。

そんな気持ちを吹き飛ばすためにも、どんどん部屋には蝋燭を灯したり、明るい大柄の模様のテキスタイルで部屋を飾ったり、暖炉の前で編み物をしたり。

手料理で友達をもてなしたり。。。。

Hyggeの生活スタイルは環境にも優しい。新しくものを買いまくるのではなく、古いものを長く大切に使う。リサイクルはデンマークでは当然のことだし、スーパーの買い物袋は持参しないとなんだか恥ずかしい感じがする。

お化粧もしないし、着るものはセカンドハンドで買えるレトロな服装が好きだし、好きな柄や材質のテキスタイルは何年でも愛用するから、Hyggeを少しは実践しているかなと、自分のことを考える。

そういえば我が家には新品よりも義母のお古やリサイクルのものが多い。でもデザインは断然新しいものよりもかっこいいと思うし、歴史を使っているような気分がたまらない。

私なりのHyggeをもっと実践していきたいな。