Mitt lilla kök

北の果て,極少の台所から

重いのだけど柔らかいもの

南部鉄鍋ですき焼き風煮込みを、母が作っていた思い出がある。黒い重い鉄の鍋の中で、白菜、玉ねぎなどの野菜とともに牛肉が糸こんにゃくと共に甘辛く煮込まれて、しょうゆと砂糖や酒のふわっとしたいい香りは今も鮮明に思い出すことが出来る。

その鉄鍋の形は、昔の絵本か童謡の本の挿し絵に出てきそうな、囲炉裏にぶら下げられているあの鍋の形をしていた。木の蓋の下でぐつぐつと煮えている様は秋から冬にかけて見るだけでも暖かくなった。

これが鉄鍋と私の最初の思い出である。

その南部鉄鍋を母は大切に手入れして、使った後は熱いお湯とささらで洗って、水気がすっかりなくなるまで乾かしてから、薄く油をひいてしまっていた。いまでも母はその南部鉄鍋を使っている。

結婚してフライパンが必要になった時に、夫が昔から愛用している鉄のフライパンがあった。コンロも作りが違うし、鉄のフライパンを焦がさず上手く使えるのか不安だったので ある日テフロン加工のフライパンを買って来た。テフロン加工のフライパンはピンクに白の水玉模様の可愛いものだった。喜んで夫に見せると喜ぶかと思いきや、フッと鼻で笑われた。

「鉄のフライパンが一番なのに。」

でもテフロン加工のフライパンは軽いし、目玉焼きもオムレツもさらっと作れて満足していた。

しかししばらくしたら、テフロン加工が少しづつ剥げてきて、底が熱で波うったようになって電気コンロにぴったりと乗らなくなって来た。そうなると熱伝導も綺麗にいかずオムレツもうまくいかなくなった。

仕方がないから鉄のフライパンを思い切って使ってみることにした。母が鉄は熱々にすれば焦げつきにくいと言っていた事を思い出した。そのようにして目玉焼きを焼いた。慣れてしまえば玉子焼きもパンケーキもうまくじんわり通って美味しく焼けるようになった。手入れも洗剤は使わず、熱湯とブラシですすぐだけだ。というわけで鉄鍋とフライパンにますます魅かれていった。

鉄工業はスウェーデンに古くからある産業で鉄製のものをつくるのが得意だ。探せばいろいろと鉄の会社が存在する。その中でもスモーランド地方のSkeppshult(フェップッスフルト)とHusqvarna(ヒュースクヴォーナ)が有名である。

1. 鉄フライパン  Skeppshult 25㎝


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夫が長い長い間所有しているフライパン。

私の初Skeppshult。 結婚してからたくさんのパンケーキ、目玉焼き、オムレツ、ベーコン、肉などを焼いてきた。

夫は初めての彼女とツーリングした時に、Skeppshult の工場によってこのフライパンをアウトレットで購入。リュックに詰めて大切に持って帰って来たらしい。夫の武勇伝とともに、使い込まれていい味が出ていると思う。夫の色々な思い出とともにずっと使い続けたい。

 

2. プレットパンナ  26㎝  Husqvarna 


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直径8cmくらいの小さな薄いパンケーキが1度に7枚焼けるフライパン。プレッタはパンケーキと同じ生地であるけど、見た目が可愛いちょっとおしゃれな形にして特別感を出したものらしい。そして特別感をより出したい場合はレシピの牛乳を生クリームに替えてコクを出す。子供が特に喜ぶが、大人も大好きだ。


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3. パンケーキパン あるいはクレープパン      24㎝  Husqvarna 


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薄いパンケーキはスウェーデンの国民食の一つだと思う。木曜日は豆スープの日でパンケーキにリンゴンベリーのジャムを添えたものを食べる。子供はおやつによくイチゴやブルーベリーのジャムと一緒に食べる。何枚も焼いたパンケーキの間に生クリームを挟んで上にいちご等を飾ってデコレーションケーキの様にしたり。キノコのホワイトソース和えをパンケーキにぐるぐる巻いて、皿に何本も敷き詰めた上にチーズをかけてオーブンで焼けばご馳走だ。パンケーキは甘いお菓子にもおかずにもなる万能選手。

 

4. 魚およびヒレ肉専用フライパン Skeppshult 縦21,横33㎝


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魚もヒレ肉を切らずにまるまま焼ける専用フライパン。このままテーブルに出してもアツアツだし、見た目も面白い。

魚やヒレ肉だけでなく、グラタンを焼くのに使ってもいい。

 

5. グラタン皿  Runneby Ron AB 19 ㎝四方


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これは1枚しか我が家にないのでどうやって使おうか非常に悩んだ結果、ちょっと前に流行ったダッチベイビーを作るのに丁度良い。


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見えずらいけど、左がこのグラタン皿を使ったダッチベイビー。

6. ムンクパンナ  Skeppshult 22 ㎝


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これは上のプレットパンナによく似てるけど、プレットパンナは平べったいがこれは少し高さがある、立体的な形状。

ムンクはスウェーデン語でドーナツのこと。でもこれで作るのはパンケーキの生地でコンロで焼く。油で揚げず中にジャムやヌテラを入れて作る。

でもこれを使った伝統的レシピがデンマークにある。リンゴケーキ。そのリンゴのケーキを作る時 デンマークではこの鉄パンを使う。

私はこれを店で発見した時、まだこっちで暮らし始めたところだった。とても喜んで即決で買って来た。何故北欧にたこ焼き鍋があるのかと不思議だったが、タコはなかなか手に入らないのでイカを買って来て、たこ焼きらしきものを作り、懐かしい気持ちで食べたことを思い出す。

これは決してたこ焼き鍋ではない。でも関西人にはそう見える、そんな鉄パン。

 

鉄鍋、鉄パンは重くて手入れもむつかしいと思われがちだけど、IH にも対応して、キャンプに連れて行っても壊れる心配もなく、一生ものだ。サビたとしても手入れは出来る。調理しながら鉄分もとれるし、熱伝導が安定しているので本当に料理が柔らかい味に仕上がってとても良い。

もっと普及して欲しいと密かに思っている。


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これがスモーランド地方にあるSkeppshult の工場。アウトレットも併設している。セカンドラインがお得に買えます。

 

心ゆくまで鍋三昧

可愛い鍋や使い良さそうな鍋を見るとついつい買ってしまう。

鍋を見ると料理欲が掻き立てられてというと、何を格好をつけてと思われそうだが。

いろいろな鍋を見ると、これは煮込みやすそうだとか、調理だけでなくテーブルで盛り付けに使っても映えるのではないか、など考える時が楽しい。

実家住まいの時は、台所の権限は両親にあったから、私は洋食担当日と製菓部活動の時に台所を使っていた。だから鍋を買うのも、置き場所、鍋の劣化具合により購入は決定され、可愛いからちょっと買っちゃった、は難しいことだった。

ある日母がちょっと小振りの琺瑯鍋が欲しいと言うので、喜んで月兎印の赤い琺瑯鍋を買ってとても嬉しかったことを思い出す。

結婚して所帯を持ち、私自身が台所の権限を持つことになった。しかし日本の台所とはやはり勝手の違うことも多く、オーブンやコンロも慣れるまでは苦戦した。

そんな中で一緒に頑張ってくれている仲間を少し紹介したい。

1. LE CREUSET 鉄両手鍋  22㎝

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LE CREUSETで鉄鍋というのにまずびっくりした。琺瑯鍋が有名だと思っていたからだ。もともと夫の妹が持っていたらしいのだが、思いっきりサビつかせてどうしようもなくなり、夫母の所に持ち込んだらしい。夫母もどうしたものかと思っていたところ、夫が持って帰って綺麗にサビを取って、油を塗って生き返らせたらしい。その後夫母が使っていたのだが、私が欲しそうにしていたのでもらってきた。鉄製なので重いが、煮物には抜群だし オーブンにも入れられる、天ぷらも出来るで、ほぼ毎日働いてもらっている。

 

2. Nils Johan HOLLYWOOD 18 ㎝ 1.5l 1950 /60年代

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これも夫母からの貰い物。これもほとんど毎日、ソースを作ったり、野菜をちょっとゆがいたりする時に使っている。

Nils Johan (ニルス ヨーハン)は1888年から1981 年まで存続したスウェーデンの家庭用品を製造していた会社で、いろいろなデザイナーもその製造に関わっていた。機能性、デザイン性も優れているとして知られている。以前から古いものには興味があったし、憧れのNils Johan も有難く頂いた。夫母は古い鍋に飽き飽きしていたらしい。新しい鍋をプレゼントしたら非常に喜ばれた。需要と供給が合致してよかった。

 

3. Norway POLARIS 社 両手鍋 26㎝

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外側は琺瑯、中はステンレス。今年やって来た鍋。ジャムづくりに活躍してくれた。大きいので 、ちょっと容量のあるものもゆとりを持って調理出来るので便利。パスタを茹でる時に大活躍している。

 

4. Arabia 片手鍋 17㎝  1960 /70 年代

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アラビアは陶器で有名だけど、グラス部門、琺瑯部門もあった。その琺瑯部門の片手鍋。夫がもともと持っていたアラビアのお皿のセットと同じ模様で嬉しくなって買い求めた。茹でたじゃがいもを盛り付けて、テーブルにそのまま出したらおしゃれだよ、というのは夫談。

 

5. Arabia 両手鍋  21㎝ 1960 /70 年代

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Arabia 好きとしてはどうしても欲しかったので買ってしまった。2人分から4人分くらいのスープに丁度いい。これもそのままテーブルに出してもいいデザイン。

 

6. 雪平鍋 20cm 

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大阪の道具屋筋からやって来た。ちょっと菜っ葉を茹でたり、親子丼を作る時に大活躍。この雪平鍋には、醤油、みりん、酒、だしが合う。

 

以上がとりあえずの鍋のラインナップ。まだ台所の棚には紹介してほしいという鍋達が控えているので、いつか続篇も書いてみたい。でもこの6つの鍋だけでも充分生活できるはずなのに、鍋欲は止まらないから厄介だ。

 

 

明るくしよう、こんにちは秋

10月になって、どんどん景気良く日が短くなっていく。春にはみるみる日が延びて気分が上がったのだから、その逆も自然の摂理で致し方ないのだ。

最近の午後1時の気分は、夕方の5時の気分。太陽の傾き、光の弱まり具合で体内時計がそう察知するのだろう。

1日を損した気分になる。明るくて暖かいと外で働ける、花や野菜の世話をしたり、晩ご飯も外で肉も焼ける。午後8時からだって余裕で芝刈り出来るなんて素晴らしい。

夏場はアルコール消費量が増えると聞いて、納得する。夏休み、外で庭仕事したり、ペンキ塗ったり、そんな後に飲むビールは最高!

バーベキューとワインもたまらない。ロゼワインは本当に美味しい。                                 

ついつい夏の楽しさばかりに気持ちはいくのだが、ここで気を取り直さなければ 今日も着実に日は短くなる。

Ikea に行けば蝋燭は結構な種類と数、蝋燭関係のインテリア用品の占める割合は多いし、スーパーですら蝋燭関係の売り場がある。最初は どうしてこんなにあるんだろうと思っていた。

今はよくわかる。夫の母が健在だった時、彼女はいつでも小さい蝋燭(ティーキャンドルっていうのか)をリビングのテーブルに灯していたし、夕食をよばれる時の食卓にいつも蝋燭が灯っていた。

蝋燭を灯すことで外は暗いけど、部屋の中がぽっと明るくなって温かい気分になれる。

蝋燭の光がないとなんだかもの足りない。蝋燭の光がこんなにありがたいものかなんて、きっと住んでいなければわからなかっただろう。たかが蝋燭 されど蝋燭。

今の楽しみはいろいろな燭台を集める事。真鍮の古いものが好きだ。蝋燭はステアリン100%が灯った感じが良い。1本だけ灯すのもまとめていろいろな高さのものをごちゃごちゃ混ぜて灯すのも良い。

心に余裕も生まれるし、気持ちも温かくなる。暗くなると文句ばかり言わないで、秋の夜長を楽しんでいこう。


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こんな簡単なキャンドルホルダーででも、灯しただけで本当にホッとする。

 

ビーガンとかベジタリアンとか

「グルテンフリーのパンあります」

「ラクトスフリーの牛乳あります」

そんな貼り紙を、パン屋さんでもスーパーでもレストランでもよく見るなぁと思っていた。

それと同時にみるみるうちにベジタリアンからビーガンが、レストランでもスーパーでも幅を利かせて来た。

料理本の出版も増えて来た。

いろいろな商品が出てきて、

ビーガンソーセージとか、

ビーガンベーコンとか、ビーガンハムとか、

よく訳が分からなくなってきた。

内容は、肉を使わず豆とかキノコの粉末とかを肉の代用にしているらしい。

最近はIKEAのビストロでも、ベジタリアンピザとかベジタリアンミートボールとかメニューに並んでいる。

ベジタリアンミートボールってと思っていたら案の定、大御所の料理人の神様と言われているおじいさんコックさんが、

「肉でもないのにソーセージ、ベーコンとは何事か?」と非常にお怒りになって、

私もやっぱりなと納得した。

先に述べたグルテンやナッツ類などのアレルギーとベジタリアンやビーガンは異なる。

アレルギーは、食べると具合が悪くなったり、下手すると発作で命の危険もありうる。でもベジタリアンやビーガンは肉も動物製品も食べられるけど、自分の選択で食べない人達だ。

親がビーガンで子供にも強制して栄養失調になったというニュースもあった。

スウェーデン国は個人の選択肢は出来る限り尊重するという風潮があるので、給食にもしっかりベジタリアンメニューが存在する。

しかし最近になって、

ベジタリアンメニューは午後からの授業に差し障りがある、

子供が疲れきって授業にならない

ということから、ベジタリアンメニューは廃止の方向でという市町村が出てきた。実際年頃の女の子たちはダイエット感覚の様な風もある。

大人に至っては(子供の中にも)、本当に主義や意見を持ってベジタリアンやビーガンである人もいるが、「意識高い系」をアピールしたい人達のツールの一つで、ファッション化してるケースも多々ある。

日本食に野菜や魚料理が多いことは、肉食の国に暮らしていると強く改めて感じる。バランスがよく、健康的という評価は間違っていない。日本は海に囲まれているし、気候も暖かい。

北ヨーロッパは寒い。夏と冬の日照時間の格差が大きい。そんな中で古い時代から豚を育て、それは貴重な栄養源となって 冷蔵庫のない時代はソーセージやハムにして保存したり、日照時間が少ないため葉っぱの野菜は少ないので、根菜やキャベツをうまく保存しながら食べてきた。

書ききれないが、風土と食品、人の身体の作りに至るまで、それらは歴史的に作られたものであると思う。

私はあまり日本食は作らない。

正確に言えば日本のやり方で作る料理はある。例えば天ぷら。

日本の天ぷらの調理法だが、材料について日本と同じものを求めようとは思わない。それは同じものは手に入らない。そして手に入ったとしても高くて質が悪い。

今、大ブームの寿司は多くレストランが並んでいるが、絶対に食べたくない。

日本のごくごく普通の回転寿司が板前さんの本格高級寿司に感じられる程の違いと言えばわかっていただけると思う。

それならば、ソーセージを買ってきてじゃがいもを茹でて食べた方が何倍も美味しい。

それぞれの国や地域には、そこに合った食べ物があるし、それは理にかなったものであると思う。そして人間の身体もバランスよく栄養をとることが必要だと思うから、安易にファッションで偏った栄養の食事をとるのは、如何なものかと、今日もスーパーで

ビーガンソーセージのパックを見ながら思う。

ビーガンの人達から、大きなお世話と言われるだろうが。


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昔は家庭料理のナンバーワンと言われていた豚の足。

私はここに住む限りずっと食べ続ける。

 

 

 

Lagom är bäst!!

Lagom (ローゴム)という言葉がこの国にある。

意味は、多くなく少なくなく、つまりそこそこということか。足るを知る、とか。

ガツガツと無理しないで、のんびり行こうよ、というように私は解釈している。

 

例えばレストランで食事をする場合、自分のお財布の余裕のある範囲であるべきままにその場所と料理を楽しむ、ということが出来る。つまり無理して高級レストランで高級食材やワインを頼む必要は全くない。

言い換えれば身の丈を知るとも言える。自分の出来る範囲で楽しく過ごせれば良い、と言うことだ。見栄を張るな、ということかもしれない。

無理しないから気分も楽で愉しい。

 

ここの国の人がかつて大好きな言葉だった。

以前この国には華美な贅沢品はそんなに売られていなかったと思う。質が高くて実用性の高いものが主流で、安くはないが修理しながら半永久的に使えるものが多かった。登山用品なんて値は少し張るが何年も新品の様に使えるので重宝した。そしてものの種類もそう多くはなかったので、かえって選びやすかった。

ところが現在はすっかり変わってしまった。グローバル化はしっかりやって来た。職人さんが作る高いけど、質の高いものは激減し、質は劣るが俄然低価格の商品が増えて来た。

シーズンごとに何でも、服でも、インテリアでもごっそり替える人が多くなった気がする。古くなっても洗濯したり、アイロンを掛けたり、手をかけながら使っていた時代は過去のものだ。

そしてもっともっととさらに上を求めるようになった気がする。そして、派手だ。

例えば、子供のいる家でかつて流行ったのは自宅の庭に砂場を作ることだった。

次にブランコやすべり台。日本の公園の遊具の小型版だが、それらを庭に置く。

さらに続いて、トランポリン。直径が2メートルくらいある本格的なもの。大人も出来る。

そして今年はそのトランポリンより少し大きいプール。より贅沢したい人は大人用のジャグジーを設置。

以前、両親が遊びに来た時それらを見て、

皆派手ね、と驚いていた。

子供のいない我が家は、ただただ毎年感心しながら、今年は何が流行るんだろうと予想するくらいだ。

これらは明らかにLagom の域は越えている。

子供の親達はそれらを買うのに必死になって、買うことが最終目標になっている。

買ってしまって、庭に設置した時点でお終い。残念ながら子供と一緒に遊んでる風景はほとんど見ない。

以前、親子、夫婦などは一緒に夏は湖に泳ぎに行ったり、コーヒーのポットとお菓子を持ってピクニックしたり、きのこ狩り、野いちごを摘んだり。

HyggeもLagomも何か特別なものが大切なのではなくて、ものを介して誰かと接する時の気持ちじゃないかなと思う。

立派なプールが庭になくても、湖で家族みんなで遊んだ方が思い出も出来る気がする。

うまく表現できないけれど、経済とか社会の問題を考えながら、どうやってしあわせに暮らしていこうかと思う中で、もう少しHyggeやLagomの意味についても考えたい。

 

Lagom är bäst. ローゴムが一番、

この言葉はお気に入りだし、こうありたい。


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Hygge は何処へ

夏に未練がないわけではない。

むしろ未練たらたらだ。

 

もっと外の仕事がしたかった。

花ももっと咲かせたかったし、

バーベキューももっとしたかった。

ビールやロゼワインが美味しく飲める天気がもっと欲しかった。。。。

 

天気が今ひとつだったことで、こんなに不完全燃焼感満載になるなんて信じられないかも知れない。

しかし、冬は日がほとんど照らない。

寒くて灰色で雪と氷の世界。

暗くて本当に悲しくなるし、ひたすら春が来るのを待ち詫びる。

そんな状況の中で暮らしていると、

本当に心から太陽が恋しいのだ。

 

しかし秋が来るのは仕方ない。そして冬になる。文句ばかり言っていても前には進めない。

そんな時の知恵だ。暗い時期を楽しむために(暗い時期だけではないけど) 今こそHygge を楽しむべきなのだ。

 

Hygge を実現するためのものは何か。

基本的に居心地の良い空間。

暖炉の火がパチパチ音を立て、間接照明や蝋燭の灯り。

プラスチックやメタルではなく、木や陶器など自然なもの。スマホではなく紙の本。

ふわふわもふもふ柔らかいもの、ひざ掛けや手編みの靴下など。

気に入ったマットやクッションなどに囲まれる。そして大きなカップで紅茶を飲む。

そしてそれらは、店で買って来た新品を並べて終わり、なのでは決してない。

おばあさんやおじいさん、お母さんやお父さんなどのお下がりのリサイクル品、またリサイクルショップで探したものを使う。

それは味もあって環境にも優しい。

 

なんだか想像しただけでも、温かみがあり

リラックスした気分になれる。

 

そういう空間、部屋が欲しい。

 

現実は夏の外仕事のおかげで、家の中はおろそかになり、秋を感じて慌てて家の中の作業を始めた為、いろいろなものがあちこちに移動。そして借り置きされているものとやむなく同席させられている状態。

 

本格的に秋が到来するまでに、Hygge への準備を終え、ぬくぬくした部屋でインテリア雑誌のモデルさんのように クッションやおしゃれな膝掛けに囲まれながらリラックスしたいものだ。

しかし道のりは遠い。。。。



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今年はブラックベリーも水っぽかった。
太陽って大切。気候がいいと甘くてとても美味しいのに。

 

 

 

 

 

おばさんは難しい

女性だけでなく、もちろん男性もそうであろうが、人生の中で自分の年齢を直視させられるショックな局面はいくつかあるだろう。

初めて白髪を発見した時、活字がぼやけて瞬時に読めなくなった時、急に今までの洋服の形や色がしっくり来なくなった時、口紅の色に違和感を感じた時など。

 

子供のいない女性が小さい子供から「おばちゃん」と呼ばれた時、ショックではなかろうか。未婚の女性が「奥さん」と言われた時も同様かも知れないが。

「おねえちゃん」という呼称も存在する。これは、未婚もしくは既婚でも子供がまだいない女性に使われていた。子供が生まれて初めて「おばちゃん」になるのだ。

 

私が19歳の時、歳の離れた従兄弟が結婚して子供が生まれた。私は小さい子供から「おねえちゃん」と呼ばれるのを楽しみにしていた。

ところが意地悪なおばが 

「今はいいけど歳とった人がおねえさんと呼ばれるのはみっともない。今からおばさんでいい。」

といって、子供に「おばちゃん」と呼ばせようとした。これは19歳女子には非常に酷だ。

親戚の子供はその後増えたけど、皆心得たもので「おねえちゃん」と呼んでくれた。これは親戚だけでなく、世間一般的な暗黙の了解だった気がする。私も子供の頃は使い分けていた。

 

かつての女性の人生は非常に単純だったと思う。遅くても20代で結婚し、その後子供が生まれてお母さんになるのが当たり前だった。

1) 未婚、

2)既婚で子供なし、

3)既婚で子供あり、

この順番で歳を重ねていった。

「おねえちゃん」が結婚してしばらくしたら子供が生まれて「おばちゃん」になる。自然な流れだったのだろう。

 

ところがその後、女性の人生は大きく変わり、多様化している。

1)若くて未婚、

2)若くて既婚、

3)若くて既婚子供あり、

4)若くて未婚子供あり、

5)歳を重ねて未婚

6)歳を重ねて既婚子供なし

7)歳を重ねて既婚子供あり

 

親戚の子供たちは、ちゃんと考慮してくれる。どんなに歳をとっても、子供がいなければ「おねえちゃん」だ。

しかし、他人の子供の目は正直だ。子供は本当に正直だ。子どもがいるのか、結婚してるのか否か全くお構いなしだ。

 

ある日お隣りに、小さい子供のいる家族が越して来た。私は、先の分類では5) の状態。歳を重ねた独身だった。しかし気分はおねえちゃん。

その子供にある日言われたのだ。

 

「おばちゃん」

 

誰のことかよくわからない。?????

 

「おばちゃん」

それは紛れもなく私のことだった。

 

無理もない。その子供のお母さんは、私よりも若く、お母さんのお姉さんも時々子連れで遊びに来るが、その人は若いけど「おばちゃん」なのだから。

ママより、そしてママのお姉さんより年上の私が「おばちゃん」なのは子供にとって当然だ。子供は全然間違っていない。

 

上手く出来たもので、母親になってしまえば

「おばちゃん」

と呼ばれたって平気なのだ。きっと。

子供達に家で「お母さん」と呼ばれ ドンっと構えられるのだ。

私は母です!という強い気持ちの後ろ盾がある。

 

当時私は未婚だったので、お隣の奥さんが心遣って下さったのか、その後は「おねえさん」と子供からの呼称は変わった。それはそれで恥ずかしかった。

この歳にもなって、結婚もしないで子供も産まないで、まともな人生を送れてないんじゃないかと落ち込んだ。

 

その後しばらくして海外生活が始まると、呼称について悩むことはまるでなくなった。

年齢関係なく ファーストネームが一般的だからだ。小さい子供からおじいさん、おばあさんまで皆名前で用足りる。日本で私は微妙な年齢だったが、ここはパラダイスだと思えた。

 

多分日本で呼称にこだわり過ぎていたのだと思う。年齢や立場が関係する呼称が不要の土地に移って来て、年齢を重ねた人の生き方に目を向けられる様になったのだ。

 

「おばちゃん」と呼ばれる年代の人達の生活の知恵など、役に立って勉強になるものが多い。これは「おねえちゃん」にはないものだ。若さは失っても、知恵や経験が積み上がっていくんだ。

 

そう思えば、歳を重ねることも悪くないし 、若くないから出来ることもある、と今更ながら気づいた。

 

「おばちゃん」と呼ばれることに抵抗がなくなった。なんなら今の目標は、何でもこなせる「スーパーおばさん」になることだ。

 

花や野菜を育てたり、

ジャムを作ったり。

スーパーおばさんの道のりは今後も続く。

 

でもここまで吹っ切れるには、紆余曲折やいろいろ葛藤があって平坦ではない道のりだった。

 

様々な事を認めながら、それと寄り添って生きていくのはむつかしい!それでもまだまだ修行は続く。



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