Mitt lilla kök

北の果て,極少の台所から

変わっていく《Shopping》と旅

 

 若い頃は、自分の体の大きさに合う服を探すには海外しかなく、大きいサイズの服や靴を見つけて買うのが海外旅行の目的の一つだった。その土地にしかない変わったデザインやらモデルがたくさんあって買い物もワクワクした。  

 例えばH&Ⅿ。日本では見たこともない変わった配色や形のセ-タ-、かわいい刺繍のブラウスやジ-ンズでもいろいろなサイズやユニ-クなモデルが選び放題。シ-ズン落ちならとてもお値打ちで買うことができた。日本で着る分にはシ-ズン落ちであろうが、バ-ゲンのワゴンから発掘されたものであろうが全然関係なかったし、かえって面白いものだった。スウェーデンにはH&Мの他にもINDISKAという服飾店があって、ここはちょっとエキゾチックな感じのするものが置いてある。スウェーデン人がデザインした服やインテリアグッズをインドの素材でインドで製造している。ここも以前はびっくりするほどユニ-クなアクセサリーがあって、私はここのアクセサリ-をつけるためにピアスの穴を開けたようなものだった。服も質の良い素敵な模様のインド綿のものが売られていて、インテリアグッズにはヒンズー教の漫画チックな神様をモチ-フにしたマグカップやらガネーシャの形のお線香立てとか、インド音楽のCDなど。そんなものを狂喜乱舞しながら買いあさっていた。友達には、どうして北欧に来てインドやねん、と突っ込まれながら。

 しかしその後しばらくして服飾の面ではプチプラならぬものが全世界で流行し、どこの国に行っても大体同じ店で同じ品物が買えるようになってしまったのと、グローバル化によりデザインやモデルも世界的に均一化され、どこででも必ず売れるような型と無難な色ばかりでその国特有の魅力がすっかりなくなってしまった。服飾品だけではない。モノ全体の独自性、その国その国にある堅実なもの、そこでしか作れないだろうものがすっかり息をひそめて、国際競争で生き残れる無難なもの、低コストで生産できるものにシフトしてしまった気がする。

 我が国のユニクロもどんどん全世界で展開していくようだが、日本だからユニクロと思って以前から日本だけのものを買いたいと思って日本に来ていた外国人観光客はがっかりするのではないかなと他人事ながらちょっと心配してしまう。日本に行くと喜んでユニクロ通いする夫に聞いてみると、特にヨーロッパで展開するユニクロはかっこいいスタイリッシュな路線で攻めているのではないか、ユニクロの下着は売らないのではないか、ユニクロのパンツを穿いているのはいるのはスウェ-デンで自分だけだと変に自慢で終わってしまった。(夫の勝手な推測と意見なので、パンツが売っているのかどうかはよくわからないのだが)

 こういう現象は以前マクドナルドが先陣を切ってどこに行ってもマクドナルドの店が存在しているように、これからは全世界どこででもH&М、ZARA、そしてユニクロ、muj、スターバックスコーヒ―など。ニューヨーク、ロンドン、ソウルだろうが、東京だろうがますます画一化されて拡大していくのだろうと思う。

 その土地の特徴や独自性を楽しめるショッピングは今後どう見つけていけばいいのだろうかと考える。ショッピング好きな人間としては本当につまらなくなってきたと思う。そこに行かなきゃ買えない、食べられないものは旅のためには必要だと思う。何でも瞬時に手に入れるのではなく、そこに行くまで、たどり着くまで、手に入れるまでの過程も旅の前奏であると思うから。

 

注)残念ながらINDISKAも例にもれず現在はすっかり様子が変わってしまい、厳しい競争のために実店舗はどんどん縮小し、ネット店舗に移行しつつある。

 

特別じゃなくても

 私は小旅行が好きだ。夫と車でぶらっと出掛けて、景色と博物館と、その土地の人とおしゃべりするのが楽しみだ。

 それと同時に、スーパーマーケットと市場に行くことは外せない。スーパーマーケットと市場は私にとっての、ディズニーランドの様なもの。

 スーパーマーケットでは、野菜と生鮮食料売り場が一番のお気に入り。旬のもの、地域で生産されているもの目当てに、どこの国に行ってもぶらぶらしている。

 レストランで食事をするより、パン屋さんでバゲットを、スーパーでチーズかハムのパックとサラダを買って、公園のテーブルのついたベンチに座って、自分でサンドイッチを作って食べるのが好きだ。(ピクニック籠をいつも車に乗せて持ち歩く。マグ、ナイフ、お皿などが入っている。) 特にデンマークには、美味しい菓子パンがざくざく売っている。コーヒーの入ったポットを持参すれば、どこでもにわかカフェの出来上がり。

 旅行に行っても、特別なものは何も買わない。ちなみに最近の旅行帰りの車のトランクは、ビール、ワイン、バター、パン、ブイヨン、鰊の酢漬け、肉類、ソーセージ、りんご、きのこ、じゃがいも、小麦粉、塩、柔軟剤などで一杯になって帰って来た。

 夫の兄さんは話しを聞いてびっくりしていたのと、どこでも買えるようなものなのにと腑に落ちない感じだったが、毎日塩を使いながら、洗濯しながら旅行を思い出すことができるのは、嬉しいし楽しい。

用意された特別なことは要らない。普通のことでも、ちょっと手を掛けるだけで自分だけの特別な宝物になるし、毎日が楽しく過ごせる気がする。

 

 

だから私は料理を作る

ー美味しいご飯は、人を幸せにするー
私が信じている言葉。

子供の頃、いたずらをして叱られても、
家族で食卓を囲んでご飯を食べれば、
叱られたことなんかすっかり忘れて、
ゲラゲラ笑って過ごせたし、

学校で辛いことがあっても、
お弁当を開けば、辛いことも吹っ飛んだ。

田舎の祖母を訪ねれば、
心尽くしのご馳走で暖かく迎えてもらったし。

ご飯はただ栄養のために食べるのではない。
作り手の愛情や思いを体と心に入れて、
暖かい気持ちになったり、嬉しく、安心した気分になれる作用があると思う。

ブログやSNS などネット上に食べ物の画像は山のように見つかる。
しかし豪華なレストランやホテルの高価な食べ物にあまり私の目はとまらない。

それよりも、お母さんが一生懸命毎日作るお弁当の画像や、ごく普通の晩御飯などの画像は熱心に見てしまう。
お弁当の影のお母さんの気持ち、
働いていそいで帰って来て、
家族の胃袋を満たすために、慌ただしくも考えながら作られた晩御飯。

楽しい会話が聞こえてきそうで、
見ているこちらも幸せになれる。

ー美味しいご飯は、人を幸せにするー
私も誰かを幸せにしたい。

そう思いながら、今日も私は料理を作る。

Hyggeしよう!

Hyggeとはデンマーク語。

Hyggeとは自然体で楽しむ暮らしのこと。(だと解釈している)。

 

北欧の冬は本当に憂鬱になるほど、憂鬱になりすぎて季節性鬱になる人が増加するほど、暗くてどんよりしていて、寒い。

私も毎年鬱になる。

そんな気持ちを吹き飛ばすためにも、どんどん部屋には蝋燭を灯したり、明るい大柄の模様のテキスタイルで部屋を飾ったり、暖炉の前で編み物をしたり。

手料理で友達をもてなしたり。。。。

Hyggeの生活スタイルは環境にも優しい。新しくものを買いまくるのではなく、古いものを長く大切に使う。リサイクルはデンマークでは当然のことだし、スーパーの買い物袋は持参しないとなんだか恥ずかしい感じがする。

お化粧もしないし、着るものはセカンドハンドで買えるレトロな服装が好きだし、好きな柄や材質のテキスタイルは何年でも愛用するから、Hyggeを少しは実践しているかなと、自分のことを考える。

そういえば我が家には新品よりも義母のお古やリサイクルのものが多い。でもデザインは断然新しいものよりもかっこいいと思うし、歴史を使っているような気分がたまらない。

私なりのHyggeをもっと実践していきたいな。

最高に貧しい月

今月25日まで、つまり給料日まで

最高に貧しい月と、ここでは言われている。

クリスマスの飾りつけ、プレゼント、クリスマス料理、クリスマスと年始のパーティーなど。バンバンお金が出て行く月。

ラジオを聴いても、テレビを見ても、今月を如何に乗り切るかの特集ばかり。

なぜこんなにお金がかかるのか。それは間際になって慌てて買い揃えるからだと思う。

我が家は前もっているものを書き出し、数ヶ月前からだんだん揃えるようにした。ナマモノ以外は日持ちがするし、プレゼントなども前もって買いに行けば時間に余裕があるのでゆっくりと選ぶことが出来る。

そして必要以上にクリスマスを特別に思わないことも、財布の紐を必要以上に緩めないことに役立つ。日常だと思えば普段の金銭感覚で買い物ができる。

残った年末年始料理のリメイクを考えるのもゲームのように楽しんでいる。お金がないときは無いなりに、なんとか知恵を絞って楽しまねば、と思う。

 

 

頭を空っぽに

ごちゃごちゃ、ごちゃごちゃ
くだらないことを
いつまでも考えて、気分が悪くなったり
全く非生産的だと
自分に呆れることが多々ある。

ごちゃごちゃ考えることで
何かが生まれることは、ほとんど100%ない。

こんな時は頭を空っぽにして
時間を過ごした方がいい。
リセットすることが、明日のために必要だから。

共存すること

庭に鳥の餌台が設置されている。
前の住人からのもので、
越して来たのは夏だったので
鳥の姿は見なかった。

秋になって餌やりを始めると
いろいろな鳥がやって来て、
目を楽しませてくれる。

私のお気に入りはシジュウカラ。ゴジュウカラの夫婦もかわいい。シジュウカラとアオガラは従兄弟同士のように仲が良く、いつも一緒に行動している。
餌が切れると台所を覗いて催促したり、人間のような振る舞いが可笑しい。

夏にも来ていたのだが、
今日はリスの兄弟がやって来て、
庭で運動会のごとく走り回っていた。

異種類の動物が場所を分け合って
餌を分け合い、仲良くしている。
私利私欲で争っている人間はちょっと恥ずかしい。