Mitt lilla kök

北の果て,極少の台所から

いろいろな国の料理をいただきます

まだ旅行者でスウェーデンに来ていた頃、私は本場のスウェーデン料理を食べることを楽しみにして来た。

出会った色々な人に尋ねた。スウェーデン料理が食べられるレストランはありませんかと。しかしあまり思わしい返事はなく、

「スウェーデン料理のレストラン、ねぇ」(明らかに困ってる)。

「ミートボールかしら」、「にしんの焼いたの」、「パンビフ」等々。

実際近くには、イタリアンレストラン、中華料理屋、ピザ屋、菓子パンメインのコーヒーショップ、など。結局、ランチレストランの定食メニューがスウェーデン料理といえばそれらしいものだった。

このように何処かから来た料理が多い。ギリシャ料理、ポーランド料理、の食堂やレストランはあるのに。

よくよく考えたら、ヨーロッパ近辺の小国から紛争を逃れて移民でやって来た人達が食べ物屋さんを経営してることが多い。そしてその郷土的料理がメニューとなっている。

スウェーデン人は新しもの好きだ。よくも悪くも。今のところは中東関係の紛争から逃れて来た人達の料理をよく見る。フードトラックでファラフェル。ヒヨコマメを挽き肉の代わりに使って、スパイスクミンで風味づけ。丸めて揚げてあるのがファラフェルだ。レバノンの薄いパンに野菜とファラフェルをソースと一緒に巻いてある。これが一つの流行りだし、冷凍が売っているから家庭でも楽しめる。

あとケバブも一般的だ。肉の塊を焼いて薄く切ったもので、ピザに乗せたり、マヨネーズのソースであえて野菜と食べたり。これも冷凍で手に入るようだ。

金曜日の子どもがいる家庭の定番の一つ。タコスだ。これは固いタコシェルと呼ばれる、とうもろこしの粉でできた円形の薄い煎餅のようなものが柏餅の様に形成されていて、餡の部分に挽き肉の炒めたもの、トマト、きゅうり、レタス、とうもろこしの粒、チーズなど挟んでタコソースをつけて食べる。

あとはパイ。ブロッコリーのパイとかチキンのパイなど。

こう考えてみると色々な外国の料理が家庭内にも入り込んでいる。最近の流行りはSUSHI. 

寿司の巻きすやのり、リースヴィネガーつまりコメスとスシリース(米)がSUSHI セットとして売られて、家でSUSHI PARTY をするらしい。言っておくが、日本人として決して許容出来るレベルのものではない。だから私は「寿司」とは呼びたくない。うるさい様だがこれはあくまでもSUSHIだ。

最近ややこしいことに、Udon やRamen 、Okonomiyakiまで入って来てカオスだ。

私がこう思う様に、メキシコの人も憤っているのかもしれないし、タイ人の友達も非常にスウェーデン流タイ料理には憤慨していた。あと許せないのはキムチ。「キムチィ」と「チィ」の部分にアクセントが入る。絶対キムチじゃないだろう、と突っ込むのも疲れる様な全く別物のレシピがテレビの料理番組等で紹介されると悲しくなる。ザワークラフトにチリペッパーがふりかけてあるようなものやら、残念なものが多い。

韓国料理のプルコギを、日本のYAKINIKU と紹介したり。

日本でのスパゲッティ・ナポリタンはイタリアのナポリにないのと一緒で、それぞれの国でアレンジされて家庭料理として定着しているのだろう。

外国の料理を取り入れたくなる気持ちもわからないでもないが、もっと自国の家庭料理も伝承してくれないものかと思っている。そっちの方が絶対美味しいから。


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ピザも普通に食べるものだけど、起源はイタリア。1960年代にイタリアからの移民が初のピッツェリアをオープンした。それからはどんな小さい街にも数件はある。

 

自然の中で先人の知恵と共に暮らす 北欧人はどの様に野菜をとるのか

北欧に暮らして思うことは、ここでは自然の中で生かされているということだ。

春夏秋冬、旬の食材がそれぞれ違う。特に秋から冬にかけては日照時間が恐ろしく短くなり、光合成を必要とするような青い野菜は数種類しか育たない。果物も同様だ。

しかし人間の身体の仕組みは万国共通。北欧人とアジア人見かけは異なるが、仕組みは変わらない。同じようにビタミンは必要だし、炭水化物、その他も同様だ。

こちらで暮らし始めて一番困ったのは、青い野菜をほとんど冬場見ないことだった。遊びに来た両親も特に母が、レタスがない、小松菜がない、ほうれん草は?と大騒ぎだった。

夏にたくさん青物を食べて、冬はその栄養でここの人達は凌いでいるのかと思うくらい。

北欧の野菜とは、①根菜類、②キャベツ類、③豆類、④ネギ類、⑤サラダ類、⑥茎野菜、⑦花野菜、⑧実野菜、⑨芽野菜に分けられる。①の根菜類は歴史がある。
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日本人が弥生時代から米を食べていたのと同様に、昔々から主食になって来た。ルーバ(ラテン語では ブラシッカ ラパというらしい)は石器時代から食べられている種類のものもある。キャベツ類はバイキングの時代かららしい。

反対にいわゆるサラダ類の青いもの、レタスなどは最近になってから食べられるようになったもので、ここ10年くらいで色々な野菜が入って来たような気がする。かつて野菜サラダと言えば、トマトときゅうりが主だった。いまだに高齢者、中年もトマトとキュウリで生野菜の栄養がとれると信じている人は多い。ズッキーニは以前から見かけるが、昔の名前はスクオッシュだ。最近一般的なズッキーニという名前が広がって来たと思う。

本当に90年代はトマト、きゅうり、人参くらいが私達が思う野菜として食べられていた。

ではどうやって冬場も栄養を摂るのだろうか。ここが根菜類とキャベツ類の出番だ。根菜とキャベツは寒い時も栽培出来るし、保存もきく。何kgか安い時に買って来て、新聞紙にくるんで籠に入れて地下室に置いておけば、ちょっと萎れたかなと思っても皮を剥けば十分調理出来る。根菜類は人参、白人参、スウェーデンカブ、赤ビーツ、根セロリが主なラインナップ。私は大体豚の骨付きスペアリブの塊と一緒に根菜類を煮込む。甘みと肉のホロホロ感と優しい味がする。我が家ではヴァイキングのシチューと呼んでいる。ヴァイキングもきっと食べていたはずだ。


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そしてこの根菜類はビタミンA, Cと繊維質が豊富で、赤ビーツには抗酸化作用がある。ここから冬場もビタミンはとれる。

キャベツ類も繊維質とビタミンCが豊富で、心臓病や血管の病気を防ぐとされている。キャベツ、紫キャベツ、ちりめんキャベツ、芽キャベツ、カリフラワー、ブロッコリーなど。これらも冬の寒い間も収穫されるし、店頭にたくさん新しいものが並ぶ。特にケールも冬の間、貴重な緑として食べられる。

キャベツ、紫キャベツ、ケールはクリスマス料理の中でも重要だ。肉類をたくさん食べる時に付け合せとして欠かせない。しかし残念ながら、クリスマスだけ食べる人も多いらしい。まるまる一個の固いキャベツを包丁で切って、千切りにすることが大儀になっている様だ。カットされた袋入りのものも売っている。

私が思うのは、自然というのは上手く出来ているものだということ。日本の様に青い野菜が冬の間なくても、青くなくても十分栄養がとれる野菜が存在し、肉食が多いなと思って魚や鶏など変化はつけるが、肉をたくさん食べたとしても繊維質が野菜からたくさん採れたり。バランス良く食べれば、青い野菜がなくても心配のないように出来ているものだと思う。

歴史好きには、ヴァイキング達が食べていたかもしれないメニューや同じ材料の食事を現代においてとれることは非常に楽しいことである。

後ろを振り返ってもいいじゃない

前ばかりを見ることができる人は

しあわせだなぁと思う。

新しいものがあるとすぐに飛びつけて

何の疑いもなく、生活の中にそれを溶け込ませる才能。素晴らしい。

私に欠けているものはまさしくそれだ。

 

新しいものにはまず警戒する。本当に大丈夫のなのか、良いものなのか、必要なのか。そう考えているうちに、次の新商品が発売されてそれはもはや新しいものではなくなってしまう、という事も多々ある。

 

きっと私は変コツなのだろう。昔、小説やドラマには頑固なへそ曲がりなお年寄りという人が必ず描かれていたが、まさしくその予備軍だ。

 

これから先のものより、今までがどうあったかを知る方が楽しい。どういう過程で今に至るのか、なぜそれが出来なければならなかったのか、それらの理由を解き明かすことに非常に興味がある。

 

例えば私は陶磁器が好きだが、それらは年代に応じて質感、模様、使い方などが変わって来ている。同じ国で作られているものなのにだ。

 

これにはいろいろ理由があって、時代時代の家族や身分のシステムが関わる、つまり社会背景も少なからず影響している、ということがわかって、なるほどなと納得することが楽しい。それぞれの模様を見ているのも好きだ。花柄の花模様も窯元によって様々だし、国によっても特徴がある。料理の種類に合わせて使ってみたくなる。

そしてますます買い集める、次にそれらの置き場がなくなるという悪循環に陥るのであるが。

古い食器をわざわざ買って使うなんて、と思われることも多いかもしれない。しかし当時の様子を写真で見たりしながら、こういう人達が使っていたのだ、と生活について思いを馳せることにもワクワクするのだ。

結局新しいものを試す暇がなくなって、どんどん時代に取り残されていく。

こうなったら昔を知る人は残っていくべきだと開き直って気むずかしいお年寄り予備軍として生きていくしかないのかもしれない。


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スウェーデンのGustavsberg 社、"Alva ". 1909-1939.

 

言葉の世界をもっと知りたい

人間、毎日言葉を話す。そして言葉は国によってリズムが異なる。もちろん発音も字も違う。

日本語を話せない夫が日本語の真似をする時、「〇〇ね」と「ありがとうございます」を連発する。そんなに、「ね」が多いのかなと考えたら、母と私の会話で「そうよね」、「本当にね」などよく使う語尾が耳に残っているようだ。「ありがとうございます」は言わずもがな、日本人がどこでもよく使う言葉だろう。

ある日、相撲を見ながら

「すし、すし、って何?」と尋ねるので、何のことだろうと思うが、さっぱりわからない。

「大阪すし、東京すしって言う」。

これ、「出身」のことだった。大笑いした。「出身」が「すし」に聞こえたのだ。何か新しい名物のことか何かと思ったので、とんだことだった。

スウェーデン語の特徴は、メロディだ。方言も色々あるので、全国共通ではないがメロディがある。そして割とはっきりした発音だと思う。しっかり話す。

ノルウェー語は語尾が上がる。そして軽快な感じ。デンマーク語は語尾が下がって、発音が曖昧。スウェーデン語は書いてあるものと同じ様に話すが、デンマーク語は発音が途中で切れる感じで、語尾が下がる。

上手い例じゃ無いが、例えばスウェーデン語では、マッズ・ミケルセン 、デンマーク語では、マア・ミッケセンの様に聞こえる。

同じスカンディナビアでスペルはよく似ているのに、発音はそれぞれだ。

アジアでは、日本語と韓国語で似てる言葉が存在していると思う。「がっこう」が「はっきょ」、「かばん」が「がばん」、「まんじゅう」が「マンドゥ」など。

韓国のラブストーリーがドラマで流行し、俳優が何故心を鷲掴みにするのか。それはやはり言葉のマジックが一つの理由になるのではないか。

韓国語には曖昧な音があって、それで言葉に余韻を感じて、未練や何時迄も忘れないよの様なものを感じやすいのかも。上手く言えないけど。表現にも詩的なものが多い気がする。

イタリアやスペインの言葉はひたすら明るく太陽の匂いさえするような感じ。でもイタリア語に哀愁を感じるのはゴッドファーザーの見過ぎかな。

フランス語は敷居が高い。リエゾンのふわふわした感じと、フランス語というだけでカフェ・オレとクロワッサンをパリのオープンカフェで楽しむ自分の妄想が渦巻いて、言葉どころの騒ぎじゃない。ああいうヒソヒソふわふわした言葉だと、愛を語らいやすいのだと思う。

言葉は色々でたくさんの種類を学びたい、と思うけど、こうやって見ると私は言葉からいらんことばっかり想像して、さっぱり効果が上がらないということがよくわかる。もっと心を無にして、文法やらなんやら機械的に覚えないといけない。これが一番大切なのかも。
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春がそこまでやって来た。新しいことを始める季節?

ワッフルの日

昨日3月25日は、ワッフルの日だった。

聖母マリアの受胎告知の日をお祝いしてワッフルを食べるそう。

「私達の母」を早口で言うと、ワッフルに聞こえるからワッフルを食べるとか。

今は簡単に専用の粉末を牛乳で溶いて、溶かしバターを加えて生地を作る、プラスチックの瓶に粉が入っていて、そこに牛乳を入れて振って生地を作ったり。

なかなか小麦粉から手作りという人は減って来ているらしい。

我が家は前の晩に生地を仕込んで、それを焼いた。ジャムも庭のベリー使ったものだ。

ワッフルは美味しい。この日に食べると、春が来ると感じる。
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生クリームもおいしい。

 

 

食い意地が張って、いてもたってもいられない

突然ですが、フランクです。


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今日はどうしても何か甘いものが食べたいと思ってしまったので、どうしようもなくなりました。

おかっぱがお菓子の本をその辺に散らかしているのが良くない。本を読み終わったら、その手で本棚にしまうということをすっかり忘れているいい加減な奴なのだ。
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僕はクッキーでもケーキでもよかったのだけど、何でもイーストの買い置きが結構あったらしく「シナモンロール」を焼いてくれるらしい。「シナモンロール」はスウェーデンでは「カネールブッレ」というんだ。日本でも結構知られてきているスウェーデンでのお茶の時間を「フィーカ」というのだが、その定番のお茶菓子が「カネールブッレ」というわけさ。

毎年10月4日がカネールブッレの日として、その日は特に良く食べられているらしいよ。

イケアでも売っているだろうから、日本でもよく知られているのかなぁ。シナモンロールとカネールブッレの違いはシナモンロールにはアイシング、とろりと砂糖がかかっているけど、カネールブッレはパールソッケル、パラパラした大粒の砂糖がかかっているところかな。


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発酵させて200度のオーブンで10分ほど焼いたら出来上がり。焼いている間はシナモンの香りで家中が一杯になるんだ。

今日は20個焼いたんだって。何日持つかな。


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全部食べ終わったら、また美味しいのを焼いて欲しいなぁ。


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次は何を焼いてもらおうかな。

お裁縫は瞑想時間

自分なりの気持ちの波があって、

時々お裁縫熱がたかまる時がある。

 

一時はエコバッグやポシェットに取りつかれ、一生懸命量産した。

一枚布で持ち手を縫いつけるより、裏地をつけて持ち手を付けるほうが、手間がかかっている様だがバッグ自体が丈夫になるし、さっさと縫えて案外手間なしだ。

たくさん縫ったにも関わらず、人様に何か差し上げる時に袋に入れて渡したり、エコバッグとしてプレゼントしたりで、殆ど手元に残っていない。

 

洋服も縫ってみようと、麻生地を見つけてはチュニックを何枚か縫った。これは結構楽しくて、同じデザインを着ている人はまずいないし、洗濯しても丈夫だし、気に入っている。去年はあまり暑くて涼しく過ごしたかったので ゴムウエストのスカートを2枚縫って、洗い替えで毎日交互に着ていた。

 

今は作業用エプロンを縫っている。エプロンは好きで以前から何枚も縫ったが、紐やらが面倒で何とかならないかと思ってたら、被りを発見。これが縫いやすい、着やすいで重宝している。

 

色々な生地で何枚か縫って、少しでも家仕事のモチベーションを上げていきたい。
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小豆色、鳩サブレー柄が気に入っている。

お裁縫に集中すると雑念から解放される。