あい らぶ♥ゴットファーザー 移民について考えた
もうそのままタイトル通り。
私は今「ゴットファーザー」の映画が大好きだ。毎日見ても飽きないくらい。
最初、映画館で見たのは「ゴッドファーザーⅢ」。バチカンで起こる色々な陰謀。カトリック校で育った私には正直ショックだった。
そして色男、アンディ・ガルシアに夢中。どうしようもない悪男だけど、とにかくかっこいい。
アル・パチーノ、いい感じにロマンスグレーでマフィアのボスの貫禄。スーツはアルマーニなんだろうなぁと、思いながら見ていた。
人生というのは虚しいものだなという感想だった。
その後、何度かテレビのロードショーでⅠもⅡも見ていた。イタリアンマフィアの映画、くらいの認識だ。
そしてこの夏契約してるTVチャンネルで色々な映画が気軽に見られるようになった。そこで「ゴッドファーザー」を全編発見。落ち着いてみることにした。
自分が歳をとってきて、違う環境に住むようになって、映画の見方が変わった事に気付いた。特に移民についていろいろと考えた。
私自身もいうなれば移民の一種だ。自分の生まれた国ではないところに住んでいる。
シシリアから9歳でアメリカに移住してきたヴィート。彼の心細さや心境がわかるような気がする。
リトルイタリア、リトルトウキョウ、チャイナタウンなど移民はやっぱりまとまってしまう。国の言葉を話し、国の食料を求めて集まる。
ヴィートもリトルイタリアの食料品店で働き、紆余曲折しながらだんだんとゴッドファーザーになっていく。やっぱりイタリア人同士の絆は強いし、一方でマフィアの軍団も出来上がってくる。
スウェーデンも難民移民が非常に多い。ソマリアやアラブ諸国の人達だ。やっぱりこの人達もスウェーデンの中に、リトルアラブやソマリアを作ってその中で生活している。スウェーデンの語学学校は義務付けられているが、家に帰れば国の言葉だし、食事も自分達の食料品店で調達する。
よその国に住んでいるけど、場所を借りて給付金をもらっているだけで国の中に溶け込もうとは中々しない。というか言葉を学ぶ気持ちが少ないから難しいのだと思う。
中国の人もタイの人も多いが、やっぱり大なり小なり自国民で固まっている。
私も語学学校に通っている時は大変だった。彼らは授業中も先生の注意なんかお構いなしで母国語で話し、休み時間も自国民で固まって、仲間はずれ感が酷かった。彼らから自分が何を言われていたのかもわからない。
今は日本人もたくさん移住して来ている様で特に都会にはリトルジャパンがあるのではないか。やっぱり日本食を食べ、おやつを食べて、日本人同士が集まっている様だ。かたまる習性は難民の移民なのかそうじゃないのかは関係ない。
アメリカで2代目ゴットファーザー、マイケルが「あんた達はイタリアから移って来て綺麗だったアメリカを汚した」と非難されるシーンがある。アメリカ人にしたら、他所から移って来てただ自分達でかたまって悪いことばかりして、という事だったのだろう。
移民の大きな問題は、やっぱりかたまって閉鎖的な社会を構築してしまうことに始まるのではないかと思う。そしてそこの国の人達の社会から離れていって、裏社会が出来上がるのだろう。実際、スウェーデンにもギャングという集団はあるし、犯罪も増加している。
もちろん真面目な移民の人もいる。その人達は言葉もマスターしてオープンに話して社会に溶け込もうと努力している。
他国で暮らすのは一見難しいように思うが、言葉をきちんと学んで、そこの国の文化にえいっと身を任せると案外楽なのではないかと思う。自分の国を捨てるのでも忘れるわけでもない。新しいものを認めて受け入れることで上手く暮らせるのではなかろうかと思う。
若い頃はまさか「ゴッドファーザー」を見てこんな事を考えるなんて全く思わなかった。たった一つの映画なのに、色々と歳を重ねて考えるのは本当に楽しい。
イタリアといえばパスタ!!
理由は大切
「喉が痛い風邪の時は、焼いた白ネギを布に巻いて首に巻けば良い」
「そして、ネギをたくさん刻んだ熱いお味噌汁を飲みなさい」
子どもの頃、風邪を引くと祖母からのこの教えを守っていた。
調べてみると、ネギを首に巻いてもネギの風邪に有効な成分が体内に吸収されることはないらしい。
しかし首は血管の重要な通り道だし、そこを温めれば身体中が温かくなるのは理屈が通っている。そして身体が温まることは風邪の回復にも一役買うに違いない。
ネギのたくさん入ったお味噌汁も医学的な薬にはならないが、やはり身体が温まるのとネギの成分が身体に効くのは間違いない。
風習の様なものでも必ず理由があるのだと、最近思うようになった。
地域によるものだろうが、夜に爪を切ると親の死に目に会えないとか、何なんだこれはと思っていたが、暗いところで爪を切ると、間違えて深爪したり、皮膚を傷つけたり。それによって化膿したり破傷風になって命を落としやすいという昔の人の考えらしいと聞いた。それによって若くして亡くなれば当然親の死に目に会えないはずだ。
風習だけではない。好みについても言えるのかも知れない。
デンマーク人、スウェーデン人はビールが大好きだ。最初あまりピンと来なかった。寒い冬でもビールを飲む。まあ、日本でも暖かい部屋で冷たいビールを好む人がいるからわかるといえばわかる気がするが、夏も冬も冷蔵庫でキンキンに冷えたビールというのは一般的ではない気がする。涼しいところに保管してるビールを飲む。
これは昔昔、水道が発達していない時代の大人の飲料水だったという。フランスでもワインが水がわりというけど、やはり水道の設備が悪く生水が飲めないことから来ているらしい。
子どもはそのビールを作る過程で出来たアルコールがほとんど入ってないところを飲んでいたらしいのだ。
生活していて何気なく過ごしていて
普通にしていることでも、振り返ればいろいろな理由があって今も残っていることがたくさんある。
郷に入っては郷に従え、という言葉がある。やはりこれも、そこの地にある生活習慣や食事など、理由があってそこに存在してるものだから、郷に入る時は尊重して認めるべきなのだ。全然違う自分の習慣ごとを持ち込んで そこにあるものを否定して暮らすのはやはりよくないのではないか。まず自分がしんどくなると思う。理由を知って受け入れれば楽に暮らせるのではとおもう。
理由を知ることは面白い。
秋が来る
言いたくないけど、秋が来る。
コロナ騒ぎで家にも帰れず、今もいつ帰れるのかわからない。
今年の夏はコロナ騒ぎで不完全燃焼な気分だった。夏に楽しみにしてるイベントが全てキャンセル。デンマーク、ノルウェー共にスウェーデンに向けて国境閉鎖、楽しみなセカンドハンド巡りも、店自体が高齢者のボランティアで成り立っていることが多いので、休業や営業の縮小。
父のこともありバーベキューをしようという気にもならなかった、そしてコロナ対策により人と会わないよう過ごさねばならず、休みは夫婦二人でガッツリと顔を合わせて過ごした。
コロナで離婚・別居が増加、カウンセリングの順番待ちが相当らしいとニュースで聞いた。「美味しいもの一緒に食べれば離婚もしないだろうにね」と安易に考えるが、闇は深いのだろう。
単純な私はコロナだろうがそうでなかろうが、人間食べなければ生活出来ない故に、家にいる時間が長い分一生懸命料理と庭仕事に励んだ。
野外マーケットの催しが全てキャンセルで安く花の苗を買えなかったが、種から育てたり、薔薇が頑張って良く咲いてくれた。
料理は相変わらず楽しい。落雷でテレビが壊れて新しいのを買った。チャンネルも増やして今は映画三昧だ。
秋も料理を頑張りたい。ブログも更新していけたらいいな。
料理は楽しい。
コロナ、コロナで日が暮れる
じわじわ、いや爆発的に拡大するコロナ。
得体がしれない、特効薬もワクチンもない。
死者も出てくる。
これだけ揃えば不安はどんどん拡大するし、とにかく人混みを避ける、手を洗ってマスクをしろ、と新しい病気であるのに予防法は至って古典的、それも防御率がどれだけなのか不明であるから、ますます人はパニックになる。
多くの催し物が延期や中止になる。ましてや飲食店などは口に入れるものを扱うだけに、営業が困難な状態に違いない。
欧米では、コロナが発症した1月、2月までは「アジアの病気」だったように感じる。他人事感を感じることも多かった。
「日本は大変ね」と言われる程度で、自分達についての悲壮感は感じられなかった。
トイレットペーパーやマスクの買いだめにも、こんな時代によくわからないという雰囲気だった。
ところがイタリアで爆発的に感染者数が増加。ここスウェーデンでは2月半ばの一週間、学童にはスポーツ休暇というのがあるのだが、その時多くの家族がスキーに出掛ける。今年は国内に雪がないので北イタリアにスキー旅行に行ったらしい。どうやらそこで感染して来たようだ。
コロナウィルスは潜伏期間が2週間程らしいので、今みるみる毎日患者数が増えて来ている。TVのニュースでは、お年寄りをとにかく気をつけてと呼びかけている。
そしていよいよやって来た。トイレットペーパーの買い占める心境がよくわからない人達も、パスタ、米、野菜の買い占め。スーパーのパスタの広い大きな棚がすっからかんの画像をみて、ああどこの国の人でも同じなんだと納得した。
でもどうしてこんなにコロナウィルスが不安なんだろうかと考えてみた
命を落とす可能性があるから、目に見えないから。。。。感染する確率は生活していたら皆ゼロではない。
新幹線の車両や、飛行中の飛行機の中が空っぽ、観光地がガラガラの画像に驚いた。人は一生懸命自分を守ろうと必死になる。物の買い占めも結局自己防衛の結果だ。
何故そんなに必死に自己防衛しなくてはいけないのか。
人はそんな時に誰も助けてくれないことに気付いているからだ。余裕がない。社会という名前のもとに集まっている様には見える。しかしもし何か起こった時、安心して国や会社、昔よりずっとメンバーの数が減ってしまった家族にも頼ることが出来ない状況が現実だ。自分のことは自分で、「自己責任」が全てとなったこんな状況が、コロナウィルスを病気という以上に人の心を不安にさせている気がしてならない。
そして経済も何か確実なものがあるわけではなく、不安定で不確実なものでも儲かりそうだと思えば飛びつかざるを得ない。アジア人観光客を見込んだホテル、商店など、お客さんが多い時は良かったが、去ってしまうとどうしようもない。
たくさんの人がいるのに、自分だけを自分で守ると感じさせる社会システムが、穏やかなのんびりとしたものにもう戻ることは出来ないのかなと、悲観的にもなってしまう。
そんな気持ちがぐるぐるして、閉塞感やら不安や恐怖が増している気がする。
ワクチンや薬が出来て、回復出来る可能性が広がれば、少しは明るくなるだろうし、日常が戻れば不安感はましになれるのにと、その日が来るのを待っている。
2020年3 月11日水曜日現在。スウェーデンでの感染者数は356人。
簡単にぶらり旅行記、ドイツ編
新型肺炎がみるみる流行し始め、
暗いニュースが続いて憂鬱さは増すばかり。
いつもドイツは乗り継ぎばかりなので、一度街を歩いてみたいと思っていた。
そうしていると急にドイツに行くことになった。昨年末に夫が格安のパックを見つけ予約していたらしい。
しかしこんな時期だし、母がちょっと調子が悪いと電話でいうので、旅行になんて行ってる場合じゃないと思った。本当にキャンセルまで考えたけど、今を逃したらしばらく行けなくなるかもと思って、母も別になんでもないからということだったので思い切って行ってみた。
私にとってのドイツは、学生時代の時のしんどい思い出しかないドイツ語とビールと白ワインだ。あと昔旅行中に出会ったドイツ人のご夫婦がとても厳格だったことと皆日本人にはとても優しい親日の人が多いという印象くらい。でも車も電気製品でもドイツ製は有名だし、お鍋や包丁なども身近だ。
ノルウェー、スウェーデンはアルコールが高いので、小旅行という名目でデンマークに買いに行ったりするが、そのデンマークの人達がもう一つ安いのでドイツに買いに行くのだ。ドイツはビールが有名だし、白ワインもドイツはいろいろな銘柄があるし、期待は高まる。
今回私達はドイツ北部のキールという街に行ったのだが、同じヨーロッパでもスカンディナヴィアとは雰囲気が違うと思った。
ドイツは都会だ。ゲルマン系の容姿がそう思わせるのかどうかはわからないけど とにかく都会だと思った。
キールは古い街だから建物も趣きがあるのね、と感心していたら、夫が、キールは第二次世界大戦による爆撃で街は焼けたので、新しく建てたものが多いという。でもうまく古い街の雰囲気を壊さぬよう古い感じで再構築したらしい。
それを聞いてびっくりした。本当に古い感じで何百年もという風格だった。
私達はショッピングセンターにも行ってみた。
非常にモダンで大きく、大きなスーパーがあると言うので大喜びだったが、香辛料目当てで行ったらちょっと高級な香辛料がマダムなお値段で売っていたが、日常使いのものは見当たらなかった。
疲れた夫がベンチに座って待っている間、私は走ってショッピングセンター全体を見て来たが、インテリア用品が少ないなという印象。服飾類はグローバル化が進んでいるのを実感。日本、ドイツ、スウェーデン、デンマーク、さして変わらない。本屋に行ったけど、料理本が少なかった。
ショッピングセンターの飾りがとても可愛く、カエル好きのハイカーさん達を思った。
何回か訪れてもっと色々な所を見れば、よりドイツ人の生活を知ることがが出来ると思う。
ざざっと大まかに記録してみた。相変わらず全然参考にならない旅行記でごめんなさい。
この人達も同行して楽しかったらしい。
フランクは里帰りにはしゃいでいた。
2020 年の始まりと帰省あれこれ
すっかりブログを遠ざかっている間、1年振りに帰省していた。
今回は6週間と結構長く滞在した。というのもこれは普段遠いところで好き勝手している放蕩娘の罪滅ぼし「偽親孝行」のためだ。
若い頃ならあちこち出かけることが楽しくて、あれもこれもここもあそこもと貪欲に歩き回って、買いあさったり食べ飲み散らかしたりしていたはずだが、「大人になった」からか家でゆっくり家族と話したり、自分の部屋の持ち物を断捨離したり。
何より日頃の台所仕事で疲れている母の負担を減らすべく、台所仕事を引き受けていた。
毎朝炊飯器のスイッチを入れ、お味噌汁を作り、玉子焼きや魚を焼いたり。昔は全て出来上がっていて、ただ食卓に座って食べるばかりだったが、用意していた母は大変だっただろうなぁと今更ながらありがたく思ったり。
最初の1週間はかねてから日本に興味を持っている夫兄も同行し、滞在した。
久しぶりに奈良観光をし、大仏様の大きさと美しさに改めて感謝した。鹿も相変わらずだらだらして可愛かった。
大阪観光、日本初上陸の夫兄には人の多さと色々な所から聞こえてくる音楽や騒音が厳しかったようだ。まあ本当にひどい人混みで、かつてはあまり見かけなかった大きなスーツケースを混み混みの道でも平気で転がしている人達に遭遇してびっくりした。ドラッグストアはキットカットや色々な日本のお菓子で溢れ、大きく様変わりしていた。
今回は幾人かのハイクで出会ったお友達とお会いすることが出来た。
初めてお会いするにも関わらず、昨日も会った友達に会う様な不思議な感覚があった。ずっと日常生活や感情など文章を通じてでも毎日やり取りしてるという強みだろうと思う。本当はもっといろいろな方にお会いしたかったけれど、帰省のメインは両親への手伝いなので時間がとれず残念だった。
いろいろな方からいろいろたくさんものを頂いて、帰りのスーツケースは一杯になった。
今もたくさん珍しいお菓子をおやつに頂く毎日だ。本当に人のご縁に感謝する帰省となった。
母が心配していた携帯電話の買い替え、結局スマートフォンは選ばなかったが、それも無事終わってホッとした。庭の木のわさわさと生えているのをすっきりとカット出来たり。
日本人にとってはやはり特別な気持ちになるお正月を両親、夫と家族4人で過ごすことができ、また来年も一緒に過ごしたいと思いながら今回の帰省も無事終了した。
日本酒が美味しすぎ、飲み過ぎた。
師走はもうすぐ-クリスマス月間
12月がそこまでやって来ている。
クリスマスは24日、25日と思っていたが、
ここでは12月初め、もしくは11月の終わりから始まる。
クリスマスの4週間前からクリスマス行事が始まるので、12月はどっぷりクリスマス月間なのだ。
ちなみに今年は12月1日日曜日が第一アドベント。4本蝋燭が立てられる蝋燭立てに蝋燭を立て、日曜日毎に1本づつ蝋燭に灯を点火する。いろいろな蝋燭立て、蝋燭がアドベントに向けて売られている。
年ごとに流行があって、最近は太い大きな蝋燭を4本用意して、トレイの上に置いたようなものが主流だ。その蝋燭に1から4までそれぞれ番号がふってあったり。
アドベントには、グロッグと呼ばれる暖かい飲み物(ドイツのホットワインの様なもの) 、ペッパーコーカと呼ばれる薄いジンジャークッキーが欠かせない。小さい子供がいる家は、ジンジャークッキーを使ったクッキーの家を作ったり。
アドベント、クリスマスで忘れてはいけないものは、窓に大きな星のランプを飾り付けること。これは冬至に向けてどんどん暗い時間が増えていく中、殆ど全ての家の窓にこのランプがかかり始めると、気分がほっとする。
どんどん街の中も、クリスマスの香辛料であるシナモン、カルダモン、丁字の香りに包まれてくる。
もう11月も10日足らず。第一アドベントまであと少し。我が家もカーテンを替えて、星のランプやアドベントの蝋燭の準備を始めよう。
スウェーデンには特にクリスマスケーキというものはない。写真はノルウェーとデンマークのクリスマスケーキ。アーモンドの粉で出来ていて、ちょっとチュウイーな食感。甘くておいしい。
子供たちはこの人を楽しみに待っている。