Mitt lilla kök

北の果て,極少の台所から

Lagom är bäst!!

Lagom (ローゴム)という言葉がこの国にある。

意味は、多くなく少なくなく、つまりそこそこということか。足るを知る、とか。

ガツガツと無理しないで、のんびり行こうよ、というように私は解釈している。

 

例えばレストランで食事をする場合、自分のお財布の余裕のある範囲であるべきままにその場所と料理を楽しむ、ということが出来る。つまり無理して高級レストランで高級食材やワインを頼む必要は全くない。

言い換えれば身の丈を知るとも言える。自分の出来る範囲で楽しく過ごせれば良い、と言うことだ。見栄を張るな、ということかもしれない。

無理しないから気分も楽で愉しい。

 

ここの国の人がかつて大好きな言葉だった。

以前この国には華美な贅沢品はそんなに売られていなかったと思う。質が高くて実用性の高いものが主流で、安くはないが修理しながら半永久的に使えるものが多かった。登山用品なんて値は少し張るが何年も新品の様に使えるので重宝した。そしてものの種類もそう多くはなかったので、かえって選びやすかった。

ところが現在はすっかり変わってしまった。グローバル化はしっかりやって来た。職人さんが作る高いけど、質の高いものは激減し、質は劣るが俄然低価格の商品が増えて来た。

シーズンごとに何でも、服でも、インテリアでもごっそり替える人が多くなった気がする。古くなっても洗濯したり、アイロンを掛けたり、手をかけながら使っていた時代は過去のものだ。

そしてもっともっととさらに上を求めるようになった気がする。そして、派手だ。

例えば、子供のいる家でかつて流行ったのは自宅の庭に砂場を作ることだった。

次にブランコやすべり台。日本の公園の遊具の小型版だが、それらを庭に置く。

さらに続いて、トランポリン。直径が2メートルくらいある本格的なもの。大人も出来る。

そして今年はそのトランポリンより少し大きいプール。より贅沢したい人は大人用のジャグジーを設置。

以前、両親が遊びに来た時それらを見て、

皆派手ね、と驚いていた。

子供のいない我が家は、ただただ毎年感心しながら、今年は何が流行るんだろうと予想するくらいだ。

これらは明らかにLagom の域は越えている。

子供の親達はそれらを買うのに必死になって、買うことが最終目標になっている。

買ってしまって、庭に設置した時点でお終い。残念ながら子供と一緒に遊んでる風景はほとんど見ない。

以前、親子、夫婦などは一緒に夏は湖に泳ぎに行ったり、コーヒーのポットとお菓子を持ってピクニックしたり、きのこ狩り、野いちごを摘んだり。

HyggeもLagomも何か特別なものが大切なのではなくて、ものを介して誰かと接する時の気持ちじゃないかなと思う。

立派なプールが庭になくても、湖で家族みんなで遊んだ方が思い出も出来る気がする。

うまく表現できないけれど、経済とか社会の問題を考えながら、どうやってしあわせに暮らしていこうかと思う中で、もう少しHyggeやLagomの意味についても考えたい。

 

Lagom är bäst. ローゴムが一番、

この言葉はお気に入りだし、こうありたい。


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Hygge は何処へ

夏に未練がないわけではない。

むしろ未練たらたらだ。

 

もっと外の仕事がしたかった。

花ももっと咲かせたかったし、

バーベキューももっとしたかった。

ビールやロゼワインが美味しく飲める天気がもっと欲しかった。。。。

 

天気が今ひとつだったことで、こんなに不完全燃焼感満載になるなんて信じられないかも知れない。

しかし、冬は日がほとんど照らない。

寒くて灰色で雪と氷の世界。

暗くて本当に悲しくなるし、ひたすら春が来るのを待ち詫びる。

そんな状況の中で暮らしていると、

本当に心から太陽が恋しいのだ。

 

しかし秋が来るのは仕方ない。そして冬になる。文句ばかり言っていても前には進めない。

そんな時の知恵だ。暗い時期を楽しむために(暗い時期だけではないけど) 今こそHygge を楽しむべきなのだ。

 

Hygge を実現するためのものは何か。

基本的に居心地の良い空間。

暖炉の火がパチパチ音を立て、間接照明や蝋燭の灯り。

プラスチックやメタルではなく、木や陶器など自然なもの。スマホではなく紙の本。

ふわふわもふもふ柔らかいもの、ひざ掛けや手編みの靴下など。

気に入ったマットやクッションなどに囲まれる。そして大きなカップで紅茶を飲む。

そしてそれらは、店で買って来た新品を並べて終わり、なのでは決してない。

おばあさんやおじいさん、お母さんやお父さんなどのお下がりのリサイクル品、またリサイクルショップで探したものを使う。

それは味もあって環境にも優しい。

 

なんだか想像しただけでも、温かみがあり

リラックスした気分になれる。

 

そういう空間、部屋が欲しい。

 

現実は夏の外仕事のおかげで、家の中はおろそかになり、秋を感じて慌てて家の中の作業を始めた為、いろいろなものがあちこちに移動。そして借り置きされているものとやむなく同席させられている状態。

 

本格的に秋が到来するまでに、Hygge への準備を終え、ぬくぬくした部屋でインテリア雑誌のモデルさんのように クッションやおしゃれな膝掛けに囲まれながらリラックスしたいものだ。

しかし道のりは遠い。。。。



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今年はブラックベリーも水っぽかった。
太陽って大切。気候がいいと甘くてとても美味しいのに。

 

 

 

 

 

おばさんは難しい

女性だけでなく、もちろん男性もそうであろうが、人生の中で自分の年齢を直視させられるショックな局面はいくつかあるだろう。

初めて白髪を発見した時、活字がぼやけて瞬時に読めなくなった時、急に今までの洋服の形や色がしっくり来なくなった時、口紅の色に違和感を感じた時など。

 

子供のいない女性が小さい子供から「おばちゃん」と呼ばれた時、ショックではなかろうか。未婚の女性が「奥さん」と言われた時も同様かも知れないが。

「おねえちゃん」という呼称も存在する。これは、未婚もしくは既婚でも子供がまだいない女性に使われていた。子供が生まれて初めて「おばちゃん」になるのだ。

 

私が19歳の時、歳の離れた従兄弟が結婚して子供が生まれた。私は小さい子供から「おねえちゃん」と呼ばれるのを楽しみにしていた。

ところが意地悪なおばが 

「今はいいけど歳とった人がおねえさんと呼ばれるのはみっともない。今からおばさんでいい。」

といって、子供に「おばちゃん」と呼ばせようとした。これは19歳女子には非常に酷だ。

親戚の子供はその後増えたけど、皆心得たもので「おねえちゃん」と呼んでくれた。これは親戚だけでなく、世間一般的な暗黙の了解だった気がする。私も子供の頃は使い分けていた。

 

かつての女性の人生は非常に単純だったと思う。遅くても20代で結婚し、その後子供が生まれてお母さんになるのが当たり前だった。

1) 未婚、

2)既婚で子供なし、

3)既婚で子供あり、

この順番で歳を重ねていった。

「おねえちゃん」が結婚してしばらくしたら子供が生まれて「おばちゃん」になる。自然な流れだったのだろう。

 

ところがその後、女性の人生は大きく変わり、多様化している。

1)若くて未婚、

2)若くて既婚、

3)若くて既婚子供あり、

4)若くて未婚子供あり、

5)歳を重ねて未婚

6)歳を重ねて既婚子供なし

7)歳を重ねて既婚子供あり

 

親戚の子供たちは、ちゃんと考慮してくれる。どんなに歳をとっても、子供がいなければ「おねえちゃん」だ。

しかし、他人の子供の目は正直だ。子供は本当に正直だ。子どもがいるのか、結婚してるのか否か全くお構いなしだ。

 

ある日お隣りに、小さい子供のいる家族が越して来た。私は、先の分類では5) の状態。歳を重ねた独身だった。しかし気分はおねえちゃん。

その子供にある日言われたのだ。

 

「おばちゃん」

 

誰のことかよくわからない。?????

 

「おばちゃん」

それは紛れもなく私のことだった。

 

無理もない。その子供のお母さんは、私よりも若く、お母さんのお姉さんも時々子連れで遊びに来るが、その人は若いけど「おばちゃん」なのだから。

ママより、そしてママのお姉さんより年上の私が「おばちゃん」なのは子供にとって当然だ。子供は全然間違っていない。

 

上手く出来たもので、母親になってしまえば

「おばちゃん」

と呼ばれたって平気なのだ。きっと。

子供達に家で「お母さん」と呼ばれ ドンっと構えられるのだ。

私は母です!という強い気持ちの後ろ盾がある。

 

当時私は未婚だったので、お隣の奥さんが心遣って下さったのか、その後は「おねえさん」と子供からの呼称は変わった。それはそれで恥ずかしかった。

この歳にもなって、結婚もしないで子供も産まないで、まともな人生を送れてないんじゃないかと落ち込んだ。

 

その後しばらくして海外生活が始まると、呼称について悩むことはまるでなくなった。

年齢関係なく ファーストネームが一般的だからだ。小さい子供からおじいさん、おばあさんまで皆名前で用足りる。日本で私は微妙な年齢だったが、ここはパラダイスだと思えた。

 

多分日本で呼称にこだわり過ぎていたのだと思う。年齢や立場が関係する呼称が不要の土地に移って来て、年齢を重ねた人の生き方に目を向けられる様になったのだ。

 

「おばちゃん」と呼ばれる年代の人達の生活の知恵など、役に立って勉強になるものが多い。これは「おねえちゃん」にはないものだ。若さは失っても、知恵や経験が積み上がっていくんだ。

 

そう思えば、歳を重ねることも悪くないし 、若くないから出来ることもある、と今更ながら気づいた。

 

「おばちゃん」と呼ばれることに抵抗がなくなった。なんなら今の目標は、何でもこなせる「スーパーおばさん」になることだ。

 

花や野菜を育てたり、

ジャムを作ったり。

スーパーおばさんの道のりは今後も続く。

 

でもここまで吹っ切れるには、紆余曲折やいろいろ葛藤があって平坦ではない道のりだった。

 

様々な事を認めながら、それと寄り添って生きていくのはむつかしい!それでもまだまだ修行は続く。



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手間より食い気

私がジャムを作ったり、

肉を自家製たれに漬け込んだり、

キュウリのピクルスを作ったりすると

「手間がかかるでしょう」と、

何でも買える時代に大変なことよくなさるわねという顔をして言われることが多い。

 

しかし、これは私の病気だ!

例えば古いレシピを発見すると 、

すぐに試したくて試したくてしょうがなくなる。

今の時代 、レシピはネットにあふれている。

でもそれにはあまり興味がない。

それよりもページの色も茶色に変わった

表紙も丁寧に開けないと外れてしまうのではないかというような年代物の料理本のレシピが大好きだ。

 

今日は古い1900年代から伝わるデンマークの料理本から、オールドファッションのリンゴケーキを作ることにした。

せっかくリンゴを買って来ているのと、一度そのレシピを試したかったので。

 

まずリンゴジャムを煮る。リングを小さく切って、圧力鍋で柔らかくたいて、こす。


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こしたリンゴを、砂糖を入れて煮る。

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パン粉の様な物に砂糖と溶かしバターを混ぜる。

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小さなカップに、パン粉生地、リンゴジャム、と順々に重ねる。

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これを冷蔵庫で冷やす。

待ちきれなくて、2時間後に試食。バニラソースをかけて。器は合羽橋で買ったそば猪口。

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画像、横向いてる。。。。

 

懐かしい味で、コーヒーによくあった。

 

食料庫にはたくさんリンゴのジャムはあるのだけれど、デンマークのレシピ、パン粉を使うならデンマークのリンゴでと。

人からみたら本当にあほらしいことにこだわってしまう。

手間をかけても美味しいものが食べたいという、食い気に従って暮らすのも、いろいろ発見があって楽しいものなのだ。

 

たまには楽しい小旅行

ぜラニウムのその後の前に、

小旅行記を忘れないうちに。

 

夫が嬉しそうに、

「誕生日にはデンマークに行こう」

と、さっさと8月から楽しそうにいろいろ計画していた。

誕生日らしいことは特にない、

結局いつもの小旅行なのだが、

今回は朝食ブッフェを予約してくれていた。誕生日まで働かなくていいよということ。

いつもは前の日からサンドイッチを作って、お菓子を焼いて 、出掛けにコーヒーを沸かしてポットに入れて。

そんなピクニック籠を持参する。それを労ってくれたのだろう。

今回はコーヒーポットだけ持参。

 

さて北欧でよく言われることは

「ノルウェー人はスウェーデンに来て、

スウェーデン人はデンマークに行って、

デンマーク人はドイツに行って買い物をする」

 

これは物価に大きく影響されている。

物価の中でも、アルコール。お酒だ。

ノルウェーの酒屋に行った時、全く同じワインがスウェーデンの3倍くらいしたのを見て、価格札を二度見ならず三度見した。

何でも恐ろしいほど高い。ノルウェー人の所得水準は高いと聞くけど、それにしても高いので、ノルウェーでの買い物は心踊らない。

ノルウェーとスウェーデンの国境近くにはノルウェー人相手の大きなショッピングセンターがある。

週末には大きなショッピングカート山盛りに、日本で言えばコストコで見られるような光景が繰り広げられる。

大量のノルウェー人が買い出しに来る。ノルウェーのスーパーと同じものが半額に近い値段で売っているのだから、狂気乱舞して買いたくなる気持ちもわかる。

ノルウェー人相手のショッピングセンターはいくつか建設予定だし、古いところもどんどん増築している現状だ。

 

私がまだバックパッカーもどきの旅行者だった若かりし頃、初めてスウェーデンからデンマークに船で渡った時、

非常に驚いた光景は皆恐ろしいほどビールやワインをまとめて買っていることだった。

「そんなに買わなくても」

と思ったし、夏だったこともあり、

皆浮足だって、そこらへんで買ったビールを開けて宴会しているグループもあった。

とにかくビックリした。

友達のスウェーデン人も、ノルウェー以外のの外国に行ったらお酒を買って帰らないとと普通に話していたし、実際そうだった。

 

私が自分自身のことを、

ああ、ちょっとスウェーデン人になって来たのかなと実感したのは、

こっちに越して来てしばらくしてからデンマークに行った時に、スーパーで自由にお酒が買えることと、値引きしてあるアルコール類にテンションが上がって、ワクワクした時だった。

スウェーデンでお酒を買うには少し不自由だ。Systembolaget という特別な酒屋があり、営業時間も決まっていて日曜日には営業なし、これは全国共通。価格も全国全く同じで値引きセールなど存在しない。

 

デンマークはスーパーでも、日曜日でも何時でも何処でもお酒は買えるし、それぞれの店が競争して安くなる。

 

話がアルコールになってしまったが、こういう現状は事実だ。

 

今回はどこにも泊まらずの旅なので、

観光はさておき、いろいろ買い物が主目的。

秋のデンマークは素晴らしい。

様々な野菜が収穫される時期だからだ。

EU の取り決めなのだろう。スウェーデンでは輸入野菜がここ数年一気に増えた。リンゴもスウェーデン産はちょっぴりで、ポーランド、ドイツ産が殆どだ。オランダ、スペインやイタリア産の野菜も多い。

デンマークのスーパーの店頭には、デンマーク産の野菜や果物が一押しされている。土が付いたままの根菜が並べられているし、リンゴもデンマーク産が一番手前に置いてある。

輸入品より価格は少し高いものもあるが、よく見ていると殆どの人が自国のものを買っている。これは農家を守ろうとか畜産業を守ろうとか思っている結果だと思う。調べていないので良くわからないが、おそらく政策の何かも関係してるのではなかろうか。

 

今回もリンゴ、根セロリ、じゃがいも、にんじん、赤ビーツ、玉ねぎ、とうもろこしなどを買う。


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次にいろいろブイヨン、乾燥イースト、小麦粉、ライ麦粉なども。

 

あとは肉屋さんに行ってソーセージやレバーパテ、豚のスペアリブなど。ここの肉屋さんの自家製ソーセージは本当に美味しい。行くたびに多めに買って冷凍している。

 

私にとってセカンドハンドも忘れてはいけないひとつ。

同じセカンドハンドとはいえ、スウェーデンとはまた品揃えが異なる。

今回は赤十字のお店が「夏よ、さようならセール」で全ての商品50%引き。

「デンマークからの誕生日プレゼントだわ」と私は大喜び。

真鍮のロウソク立てや、変わったデザインの植木鉢、あとメイド・イン・ノルウェーの中はステンレス、外側はホーローの少し大きめのなべを買った。色が大好きなオレンジなので絶対に買い!  

洋服はしばらく買わないと決めていたけど、値札が付いたままの新品のスポーツジャケットを夫に、モスグリーンのMAー1ジャケット、これも新品を自分に買った。

50%引きセールのおかげで本当にお買い得で嬉しかった。

途中少し道を間違えて小さな街に偶然出たら、またそこにも小さいセカンドハンドを見つけて楽しんだ。

 

そうこうあちこち寄り道しながら楽しく一日は暮れていった。

 

スウェーデン人がお目当てのお酒類はもちろん買った。カールスバーグはスウェーデンでも買えるけど、本場は味が違う。と思う。

ワインも誕生日プレゼントといってたくさん買ってもらった。

 

デンマークのスーパーで、日本の催しをしていてちょっと覗いてみたら、ラムネ飲料ひと瓶日本円で600円くらい、サッポロビールのロング缶が1000円はひどいなぁと思って見た。

日本製は本当に高くて贅沢品。

 

誕生日を迎えて一つ歳をとったが、末永くこうやって夫と何処かに出掛けて行きたいなぁと思う。

楽しい一日をありがとう。
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追記:

この人たちも同行してご機嫌でした。


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わかり合うには時間がかかる①

園芸の雑誌を読んだり

テレビ番組をみるのが大好きだ。

よそのお宅のお庭拝見もとても楽しい。

 

丹精に整えられた庭園や色とりどりの寄せ植えなど見ると心踊る。どうやって植えたら綺麗な感じになるのか。とにかく考える。

 

でも植木にも必ずその時々の流行がファッション同様存在する。植木鉢に至っては本当に流行が毎シーズン変わって、園芸店、インテリア雑貨店はずらりと同じ色、同じ形が並ぶ。

 

流行を知るのは楽しい。でも人と同じものを植えるのはへそ曲がりな私にとって全く魅力がない。

古くてずっと今でも続いてるいる花や植物は何か。植物は流行より、その国その土地や気候に馴染んだものが育てやすい、と私は勝手にそう思っている。昔からそこで育てられている木や花が丈夫で一番なはずだ。

 

夫の母に聞いてみると

「ペラゴニア」

という答え。

ペラゴニアとはゼラニウムだ。そういえば夫の母の家のバルコニーにもぜラニウムは定番だった。

 

北の果てに移って来て、そこで出会って懐かしかったぜラニウム。それがここで偶然にも定番の花だったなんてとても嬉しかった。

 

最初の年は嬉しくてひたすら苗を買い、植木鉢もいろいろ買って来てどんどん植え付けた。それらを並べるだけできれいになった気がして満足していた。

 

日本では気候が良ければぜラニウムは越冬することが出来、次の年もまた花が楽しめる。母も冬の間は玄関に入れて越冬させていた。

しかしこの土地は冬はあまりに寒いので日本の様にはいかなさそうだ。

 

案の定、夏がだんだん去って行き、秋が来るとどんどん花は咲かなくなり弱々しくなって、ある日霜が下りるとすっかり枯れて終わってしまった。

枯れた苗を捨てるのは悲しかったが仕方ない。せっかく結構投資したのになぁと悔しかった。

もっと悔しかったのはテラコッタの植木鉢をそのまま外に置いて越冬させると、冬の間凍って春には割れてしまって使い物にならなかったことだった。


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つづく

 

 

 

 

親の背を見て子は育つ

子供の頃のある日、

母が嬉しそうに外出から帰って来た。

途中お友達にばったり会ったらしい。

そして衝撃の一言。

「『金のなる木』を頂くことになったのよ」

 

「金のなる木」?!

小学生だった私は、お金がザクザク、

ここ掘れワンワン、の童話の挿し絵や、

億万長者の文字が頭に浮かんだ。

なんだかすごいことが起こる予感!! 

 

ワクワクしながら数日が過ぎた。

 

数日して、

母がお友達から頂いたというものは、

手の平に入る

小さなティッシュペーパーの包みだった。

開けてみると、全長3センチくらいの分厚い葉っぱが2枚入っていた。

 

「これが『金のなる木』なの?」

「そうよ。ちょっと土に挿しておいて

根が出るまで待つのよ」

 

適当な大きさの植木鉢が

見つからなかったので、

母はイチゴの入っていたプラスチックの容器に土を入れ、大事そうにそっとその葉っぱを挿した。

 

子供心にがっかりした。大判小判の欲の深い夢は一瞬で終わってしまったのだ。

 

しばらくして葉っぱからは根が出て、

母は本格的な植木鉢に植え替え、

水をやったり、肥料をやったり、

日光浴をさせたり。

小さな葉っぱはどんどん育って1年も経てば大きな幹になった。

 

マンション暮らしの

ベランダ園芸の時代から、

毎年夏になると母は赤い花の苗を買って来て、植木鉢に植え付けた。

花の名前は「テンジクアオイ」。

葉っぱから独特の匂いがして、

花はいい匂いという子供の感覚からは、なぜ母がそんなにそのテンジクアオイを好きなのか理解し難かったが 

とにかく夏が来るとその花が家にあった。

マンションから戸建てに移って、

猫の額ほどの庭が持てて、

ますます母は張り切って

花の世話に勤しんでいた。

そして毎年テンジクアオイは庭にあった。

水やりはもちろん、肥料をやったり、日に当てたり。

花が終わるとまめに花ガラを除去していた。

こうすると新しい花がどんどん咲くから、と言っていた。

 

しばらくしてテンジクアオイはゼラニウムというハイカラな名前があることが判明。

大好きだった「若草物語」の中で、

3女のベスが

お隣りのお金持ちのおじいさんに、

プラマンジェを作って持っていく時にお皿に飾っていた花がぜラニウムだったと記憶しているが曖昧だ。

 

とにかく若草物語の中で

ゼラニウムという花があることを知り、

ぜひ見たいものだと思っていた。

それが我が家のテンジクアオイだったとは。

衝撃でもあり、しかし急にテンジクアオイを可愛いと思うようになった。現金な話だ。

 

ではそれから花や庭仕事に興味を持ったのかといえば、

当時の私はまだまだ若く、

休みになればショッピングや映画など

友達と遊ぶことに勤しんで、

たまに一緒に花屋さんに苗を買いに行くことはあっても、庭仕事には興味がなかった。

 

そして時は過ぎ

私も結婚してどこでどう間違えたか、

自宅とははるか遠くの異国で暮らすことになった。

 

移ってきて初めての夏、

街の広場の市を見に行った。

色々なものが売られているのだが、花の苗も時期的にたくさん売られている。

色とりどりの花のなかに、私は古い友達を発見した。

「テンジクアオイが売ってる!!!」

本当に嬉しかった。

喜んで早速買って、台所の窓に飾った。

 

テンジクアオイは日本名だし誰もわかってくれないのはわかる。

しかし、

ゼラニウムという名前ですら

こちらでは通じないのにはびっくりした。

 

「金のなる木」もこちらでも発見。

買って来て、葉の様子を見ながら

挿し木(葉?!) で増やす。

 

その後もぜラニウムの魅力にはまって、

育て続けている。

誰に習ったわけではない。

でも何となく母が世話をしていたように

肥料をやったり、花ガラを摘ながら

大きくしていくのが楽しい。

 

母もやはりぜラニウムの鉢の世話をしていて、遠く離れていても同じことをして、

いろいろ情報交換する。

そんな時間がとても楽しい。

私も歳をとったものだなと思いながら。



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注) ここではぜラニウムをペラゴニアと呼ぶ。